君を包みたい。私たちを魅了してきた「うでまくら」のミステリー/春画―ル

春画 葛飾北斎《つひの雛形(ついのひながた)》1812年

今回のテーマは『うでまくら』

日本の『うでまくら』の歴史はいつごろからはじまったのだろうか?
長い日本の歴史の中で人々は『うでまくら』にどのようなイメージを持っていたのだろうか?

8世紀頃の奈良時代の和歌を覗きながら時代を下り、江戸期の春画の世界へお連れします。

まずあなたにとっての『うでまくら』をしっかりと想像しておいてください。
そのほうがこのコラムをより楽しめます。

どんな想像でも構いません。初めての恋人に腕枕をしてもらった思い出でも良いですし、愛猫に腕枕してあげた記憶でも。あなたにとっての『うでまくら』とはどのようなものでしょう?

後半には貴重な『ひざまくら』の春画もご用意しています。

では準備ができたところで、『うでまくら』を知る旅に出かけましょう!

『うでまくら』のはじまりはあなたの想像よりもうんと古い

春画 西川祐信《大開中心好色(たいへきちゅうしんこうしょく)》右奥で男性が手枕をしている

『うでまくら』……つまり、人間の腕を枕代わりにする動作を表現することばは、奈良時代の歴史書である《古事記》(712年)や、日本最古の歴史書である《日本書紀》(こっちは720年)に掲載されている記紀歌謡(ききかよう)で登場し、『腕をまく』『手をまく』と表現されていた。

この時点ですでに腕枕カルチャーは存在していたのだ。ということは、古墳時代や飛鳥時代にも腕枕を誰かにしてあげる習慣があった可能性がある。

その後、奈良時代の和歌集《万葉集》には『手をまく』という表現が継承されたのだが、現在使われている『うでまくら』の登場はまだまだ先なのだ。

下西善三郎氏の『万葉「手枕」考』によると、この『手をまく』という表現は、柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)により『手枕(たまくら)』という語へと発展した可能性があるという。つまり、『手をまく』→『手枕(たまくら)』と呼ばれた時期があり、他にも『袖をまく』という表現も使用された。

女性がする手枕と男性がする手枕があったのちがいとは?

春画 西川祐信《床の春雨(とこのはるさめ)》隣室で男性が手枕をしている

そして万葉集の『手枕』に関する和歌は男性も女性も詠んでいる。久富木原玲氏の『言葉と性 手枕…万葉から和泉式部まで』によると、

男性が詠む歌の中の手枕…長い間相手に会えなかったり、眠れないから手枕が欲しいという内容の歌

であるのに対して、

女性が詠む歌の中の手枕…好きな相手と眠っている最中や離別後の”性愛表現”を意味する内容の歌

の傾向があるという。

実際に「男性がつくった歌」と「女性がつくった歌」を紹介すると

【男性がつくった歌】

敷栲(しきたへ)の手枕まかず間置きて年そ経にける逢わなく思へば
→(意味)手枕を交わすことなく互いに離れたまま年が経ってしまったことだ。あなたと逢っていないことを思うと。

験(しるし)なき恋をもするか夕されば人の手巻きて寝らむ子ゆゑに
→(意味)しても仕方ない恋をもすることよ。夕べになると、他の男の手を枕にして寝ているであろうあの子のために

ぬばたまの黒髪敷きて長き夜を手枕の上に妹待つらむか
→(意味)黒髪を敷きなびかせて(男の訪れを待つまじない)、長い夜を自分自身の手を枕にしてあの子は私を待っているのであろうか。

【女性がつくった歌】

朝寝髪(あさねがみ)我は梳(けづ)らじ愛(うつく)しき君が手枕触れてしものを
→(意味)朝の寝て乱れた髪を、わたしは櫛でとかさない。だって愛おしいあの方の手枕が触れた髪だから。※春画―ルお気に入り

明けぬべく千鳥しば鳴く白栲の君が手枕いまだ飽かなくに
→(意味)いまにも夜が明けてしまいそうに、たくさんの鳥がしきりに鳴く。あなたがする手枕にまだ満たされていないというのに。

逢わずとも我は恨みじこの枕我と思ひて巻きてさ寝ませ
→(意味)逢ってくれなくても私は恨むまい。この枕を私だと思って手枕のように抱いておやすみになさってください。 ※相手に送った枕に添えた歌。もしこれが女性の歌なら自分のところに通っていない男性への皮肉がこもっているだろう。

確かに女性の歌の方が、意中の相手との現在進行形の恋愛という感じはある。

下西善三郎氏の見解では万葉集において、女性側が『男性にしてもらう腕枕を想って詠んだ歌』よりも、男性側が『女性にしてもらう腕枕を想って詠んだ歌』のほうが多いようだ。これは日本の古代が、「女性が相手にしてあげる手枕」自体や、「手枕」を「女性の手枕」として歌うことに特別な価値と意味を認めていたからでないかと下西氏は言う。

女性に膝枕をしてもらうことへの価値なら理解できなくもないが、女性に腕枕をしてもらうことにも価値があったのではという考えは意外だ。「腕枕は男性が相手にするイメージ」と考えていた読者の方には意外かもしれない。

春画 鈴木春信《今様妻鑑(いまようつまかがみ)》1771年

時代は進み、王朝時代にも『手枕』という言葉は生きていたが、うたに専用されることばであったのは確実であるという。そしてこの『手枕』は次第に和歌の中で『女性がする手枕』は減少し、『独身が自分でする手枕』や『男性がする手枕』が増えていったようだ。

この理由を下西氏は、「男」と「女」のあり方の社会的及び心理的反映ではないかと言っている。すなわち宮廷を中心とする貴族社会の意識が「女」に対する「男」の優位性と男女の保護と被保護の心理的関係が歌にも反映されたのではないかという。

男性が女性を保護するという心理により「手枕は男がするもの」というイメージが王朝時代頃に定着しつつあった可能性がある。今回は和歌より出した考えのため、実際の性愛事情はどうだったかは分かりかねる。しかし奈良時代から平安時代になり急激に「女性がする手枕」が急激に減少したことは、なんらかの人々に共通する社会的な心理があったように思われる。