「イク」を言語の意味から探る

床の春雨 西川祐信《床の春雨(とこのはるさめ)》 画中に「ゆく」と書かれている

オルガズムの現象がわかったところで、辞書では「イク」という現象をどのように説明しているのだろうか。

笹間良彦氏編著の『好色艶語辞典」で「いく」の意味を調べてみると、

歓喜の絶頂に達する意。
いくは通常は「精(き)がいく」の意に用いられ、「精(き)を遣る」つまり充分に到達する意である。

とある。江戸期の春画の中に書き込まれている詞書の内容を読んでも、「きがいく」「きをやる」という言葉が頻繁に使用されている。

床の置物 菱川師宣《床の置物(とこのおきもの)》1681-4年

上図の1681年頃の菱川師宣《床の置物》の中で「”き”が三度いきました」という書き込みがされており、この時期にはすでに「きがいく」という言葉が使われており、回数まで書かれている。いつの時代からこの「きがいく」が使用されたかを特定するのは厳しいが、江戸期よりずいぶん前の可能性は大いにあるようだ。

では古語の辞書から「きがいく」「きがゆく」「きをやる」の意味を調べてみよう。

小学館「新選古語辞典」での「き」、「ゆく(いく)」および「やる」を調べると以下のような意味が出てくる。

【き(気)】
①大気、空気、精気
②雲、霧、煙、香などをいう語
③精神のはたらき。心。気持ち。

【いく(行く)】
①「ゆく」と同じ意味
②よい。良好だ。

【ゆく(行く・往く)】
①行く。進んで行く。
②時が移る
③水が流れる
④死去する

【やる(遣る)】
①行かせる。進ませる。
②送る。与える。
③払いのける。晴らす。

確かに「ゆく」「いく」には「死去する」の意味を含んでおり、「イク」は「逝く」の意味が由来かと考えてしまう。しかし、「やる」には死去の意味は含まれていないようだ。「きがいく(ゆく)」と「きをやる」が両方使用されていたことを考慮すると、セックス中に発する「イク」には「死去する」という意味を含んではいないようだ。

つまり、性交中の「イク」の意味は「逝く(死んでしまう)」というよりも、「今の場所ではない所に進む」という意味で使用され、セックス中の「イク」は「精神や心がここではない所へ行ってしまう」という意味で使われていたのではなかろうか。

前半にも書いたが、オルガズムという現象が心理的インパクトの大きい現象であることも考慮すると、オルガズム中の筋肉の収縮といった個人差が出やすい”肉体の部分”ではなく、「精神や心がここではない所へ行ってしまう」という”感情の部分”が、「き(精)がいく」「き(精)をやる」という言葉で表現され、今日まで使われているのではないだろうか。

もし古語で「いく」「ゆく」以外にも「進ませる」の意味を持つ動詞があれば、なぜ「いく」「ゆく」が使用されたのかを比較する必要がある。確か「参ず(さんず)」という「行く」の謙譲語が春画に使用されていた気がしたが今回は見つけられなかった。

性交渉と死や宗教感の関連性

会本妃多智男比 喜多川歌麿《会本妃多智男比(えほんひたちおび)》1795年 画中に「きがいく」と書かれている

「イク」は「逝く」ではなく「行く」ではないかとまとめたのだが、「性交渉での快楽の感覚を、生きている人間が経験したことがない「死」と関連付ける言葉が存在しないわけではない。

以前このようなツイートをしたところ「わかる!」という意見が多く寄せられた。

性交渉中の突きあげた歓喜と奈落に転落すると感じる恐れの両極端の合致の火花であり、瞬間の即身成仏である。

常々人間には「不幸に耐えられる限界」と「幸福に耐えられる限界」が存在すると感じてはいたが、「快楽に耐えられる限界」も存在するのではないだろうか。つまり、限界を超えそうな未知の恐怖を漠然とした恐れの「死」と重ね合わせ、「死んじゃう」という言葉を発してしまうのであろう。

艶画四季時計 柳川重信二代《艶画四季時計(えんがしきどけい)》1834年

たとえば柳川重信二代《艶画四季時計(えんがしきどけい)》で公家の女性のセリフには、快楽を感じ「ア もう死にそうです。この世の思い出に、早う早う入れてくだされませよ」と書かれている。

他にも、性交中に深く挿入して女性を絶頂させ、その後柔らかに抜きかけて生き返ったような感覚にさせることを「死往生返(しおうしょうへん)」と言ったり、性交渉により相手に満足を与えることを「五利生(ごりしょう)」と言う。「五利生」は仏菩薩が衆生(生命のあるすべてのもの)に与える恵み「利生」が由来であり、互いに性交渉による恵みを与えることの表現として使用された。