30代の終わりに大切なものをすべて失ってしまった私の再スタートとなった日

すべてを失って這い上がってきた人生

ワイルドワンコラム Image Noah Silliman

前回のコラム で書いたのですが、私の夢は終わりました。自分のライフワークだったファッションの仕事も自分で手放してしまいましたし、8年間大好きだった彼と決別したのも同じ頃。その後、祖父母を亡くし……祖父母はハワイに住んでいたので、最後看取ってあげられず後悔が残りました。毎年ハワイの祖父母に会いに行くために、頑張って仕事に励んで貯金するという毎年の目標もなくなりました。その数か月後に15年間、苦楽を共にしてきてくれた最愛最高の愛犬も亡くしました。

こうして30代の終わりに、私は大切な物はほとんどすべて失ってしまいました。けれど娘がいてくれたので、この子が大学出るまでは頑張って稼がなきゃと思い、今の会社に入りました。当時は人生の大半が自営業だった自分に、はたして会社勤めは勤まるのだろうか? と不安な気持ちで一杯でしたが、同時に、今まで口八丁手八丁で生きてきたじゃん! だから絶対私は何でもできるだろうという図々しい根拠のない自信も持っていました。

もう本当に何もなく空虚でしたが、人生のどん底で失うものはもう何も無いから、これ以上の下はないぞという安心感はありました。とにかくガツガツ仕事をすることで時間を費やせましたが、ふと考えるのは、私は何の為に生きてるのか……娘が大学を出て子育てもひと段落してしまったら、この先どうやって生きて行けばいいの?と私の心はすっかり路頭に迷ってました。

そんなとき私はこのAMの編集部を尋ね、思わず「何か私に書かせてください」と言ってしまいました。やさぐれていた10代・結婚・離婚・離婚裁判・海外生活・人種差別・流産・死産・出産・シングルマザー・起業経験・ファッションなどなど……面白そうなことには首を突っ込み、しなくていい苦労をし、泣いたり笑ったり人生いろいろとあったし、たくさん事故ったしネタはいっぱいあるんです。この経験を何かの形で残したかったんですね。

こうして始めさせてもらったこの連載 。子供のころ本が大好きでいろんなジャンルの本を片っ端から手に取って読み漁ってはいたのですが、何か自分で書くというのは学生時代の作文くらいです。自主的に書いて文章にまとめるということは初めての経験でした。

日常で感じた「これってどうなんだろう」と思ったことを掘り下げてみたり、過去に出会った人との思い出を振り返ってみたり、何かの機会があったら人に伝えたかったことを書いてみたり、過去の自分の過ちと向き合ったり……「書く」ということがこんなにも自分の人生や内面と向き合うことになるとは思いませんでした。

気が付いたら2年が過ぎ、55回目を迎えました。書けば書くほどに人として自分の足りない部分、いろんな修正・改善点が見えてくるのです。連載が進んでいくとともに、だんだんと頭の中が整理整頓でき、スッキリするような気持ちになりました。2年間続けていたら心の迷いが晴れてくどころかなんだかやる気までが湧いてきて、空虚だった私の心がいっぱいに埋まるくらい新しい出来事や人との出会いも舞い込んできたのです。