夫婦で外食に行った際のメニュー

現在「外食」は避けるべきことであり、休業中のところも多い、外食ができずストレスが溜まっている人もいるだろう。

しかし、私はコロナ以前から全く外食をしないので、こちらに関しても特に影響がない。むしろコロナになってから需要を伸ばしたテイクアウトやお取り寄せの方が性に合っている。自宅神推し同拒否過激派なのに加え、リアル孤独のグルメなので、美味いものは自分の巣に持ち帰って1人で汚く食いたい派なのだ。よって外食をするといったら、それこそ夫に誘われた時だけである。

私の作る飯は基本的に不味いのだが、夫は「結婚は来世のための修業」ということを良く理解しているのか、宗教上の理由で「腐っているもの」は食わないが、それ以外は大体食べてくれる。ちなみに「腐っている」というのは発酵食品の隠語ではない、素直な意味で腐っているものは食べない。

よって、外食の提案も頻繁にあるわけではないが、あるとしたら「焼肉」リーズナブルにいきたい時は「お好み焼き」対抗馬で「回っている寿司」という感じである。

焼肉もお好み焼きも「自分で焼く」という共通点があるが、もしかしたら話すことが特にない我々にとって「焼く」という作業は間を持たせる重要なファクターなのかもしれない。

お好み焼きに行くと、いつも「量が多くて最後はもはや苦痛」という現象を起こすのが最近の定番になっていた。

夫は男にしては小食な方だし、私も一度にたくさんは食べれない、そしてお好み焼きと言うのは基本的に炭水化物の塊である、それに「そば玉」を入れでもしたら、もはや二人で一枚で十分なのだが、つい二枚頼んで、最後「出るので揺らさないでください」という状態までお好み焼きを詰め込んで帰ることになる。

最近やっとそれを学んでお好み焼き1枚に焼きそばというような布陣にするようになったのだが、昔はお好み焼き二枚でも食べれていたような気がする。

つまりお互い老いたのである。

高齢者が車を運転して事故を起こしたというニュースを聞くと、老いを自覚せずに運転するなんて恐ろしい、と思うのだが、自分たちだって己の老いを理解できずに、お好み焼きを2枚頼んでしまっているし、それを数回繰り返しているのだ。

これは車で言うと3回ぐらい事故を起こしてやっと理解したということである、冷静に考えると非常に恐ろしいことだ。

超高齢化社会である、夫婦はお互いの老いを自覚し、それをちゃんと指摘しあえることが大きな課題だと感じる、どうしても自分はいつまでも若いつもり、なのだ。「お前結構なババアやぞ」と教えてくれる人が時には必要である。

今は、外出自粛で外食は出来ないが、いつかまた夫と外食に行った時、許容量以上の量を注文したら「それはもう俺たちの手に余る」とちゃんと止めたいと思う。

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