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「愚痴を言わない」がかっこいいのは江戸時代でウンコを体にためている「夫婦と愚痴」

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今回のテーマは「夫婦と愚痴」である。

このテーマ前にやったような気がするのだが、記憶が定かではない上、ワザワザ調べに行く気力もないので、諾々ともう1回書くことにする。

年を取ると、薬を飲んだか定かでなければ、飲んだかどうか精査するより「もう一度飲めば良い」という発想になっていくのだ。老に薬を与える時はぜひ「1日1回」のものにしてほしい「朝昼晩」とかにされると、1日6回ぐらい飲んでしまう。

我々夫婦はあまり「愚痴」を言いあわない方である。

世の中には、他人の愚痴や悪口が始まるや否や「コーラのLとチーザを買ってくるから20時スタートでお願いします」という人もいるが、愚痴や悪口しか言わない人というのは大体嫌われがちである。

よって「愚痴を言わない人」というのは、辛抱強い、良い人のように思える。確かに周りにとっては良い人だが、本人にとってそれが良いかは別である。

「愚痴を言わない人」というのは「ネガティブな話を他人に出来ないタイプ」とも言える、よって困っていても他人に助けを求められない場合が多い。

もしくは、嫌なことがあると全部自分のせいにしてしまい「愚痴」という名のウンコにして排出することができない、体の半分が宿便できているという、というバファリンタイプである。

どちらにしても、悩みや負の感情を1人で抱え込みやすく、突然失踪して樹がつく方の海を見にいったりしてしまうのだ。

「愚痴や弱音は吐かない方が美しい」というのは武士の作法であり、つまり江戸時代の発想である。愚痴を言わない、というのは「未だに語尾にござるをつけているようなもの」であり、ウンコを我慢するぐらい体に悪いことと思って、あるなら我慢せずに出したほうが良い。

愚痴を言う効果は、ゲロのように「吐いてすっきり」というのもあるが、他人に言うことで「全然大したことではなかった」と気づける、という点もある。

1人で抱え込んでいる時というのは大体「こんな目にあっているのは自分だけで、自分は世界一不幸だ」という、オンリーワンかつナンバーワンな気分になっていることが多い。

例えば、ウンコを漏らしたとしてもそれを誰にも言わなければ「成人してウンコ漏らすなんて自分ぐらいのものだ」と思ってしまうが、それを他人に言ってしまえば、3人ぐらい「あるよね」と挙手するものなのだ。

この「自分だけじゃない」というのは、問題が全く解決していなくても、何故か救いになるのだ。同調や共感というのはそのぐらい人間の精神には重要なものなのである。

よって、ここで共感作用があるというMDMAをやる、という選択肢がでてくるが、それは前に書いたので、ここで詳しく言うのはやめよう。愚痴についてのコラムを書いた記憶は定かではないが、MDMAについて熱く語ったことは良く覚えている、やはり年を取ると過去の楽しかった思い出ばかりが鮮明になっていく。

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