感動ノンシェア状態からの「釣果」
だが気の置けない間柄になると、そんな社交辞令をしなくなるため、テンションの上がらない話題に対しては容赦なくスコペッソイするようになるのだ。
感動が共有できない相手と共有しようとすると、相手のテンションの低さにこちらが引っ張られ、逆に感動が薄れるので感動を伝える相手は最初から選んだ方が良い。
その結果、我々は感動ノンシェア状態となり、心身ともに家庭内別居になりつつあるのだが、最近夫は「釣果」を私に伝えるようになった。
夫は1年半ぐらい前から釣りを始めていたのだが、最初の1年は全く釣れていないいなかった。
まず1年何も釣れていないのに続ける精神力がすごい、私なら一か月釣れていない時点でテグスで敵の耳を切り落とすグラップラー刃牙方面に舵を切りなおしているのだろう。
しかし、ある日突然「釣れた」と言って、魚の写真をLINEで送ってきたのである。
もうこのまま一生釣れないものだと思っていたし、「釣り」とはマッチングアプリの隠語なのではないか、とすら思っていたため、この時ばかりは私も素直に感動した。
ただ、通りすがりの魚類に糸をひっかけることに成功したのに対し感動したわけではない。
それが「諦めなければ努力は実る」という私にも理解できるエモさだったからである。
つまり、行為自体は理解できなくても「こいつは山の手線を全部覚えるのに俺が司法試験に受かった時と同じぐらい努力したのだ」など、自分の理解できる感情に置き換えてみれば分かり合える可能性がある、ということだ。
その後も夫は釣りを続け、釣れるたびに私に写真を送ってくるのだが、ある日「バスと思ったらカエルが釣れた」と言って、仰向けになったクソデカウシガエルパイセンの写真を送ってきた。
それに対し私は何も言わずに「ゲロを吐いているスタンプ」を送ったのだが、夫も「さすがに俺も気持ち悪かった」と言っていた。
どうやら我々夫婦も「グロい」という感情は共有できるようである。
私も今後は、第一関節まで到達した逆むけなど、グロ画像は積極的に夫に送って感情を共有していきたい。
Text/カレー沢薫
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