突然、君はわたしにカメラを差し出した。
「撮って」
そう言うやいなや、返事も聞かずにジリジリと巻き上げダイヤルを回しはじめる。
「え?」
「せっかくだから。撮ってよ」
「でも、わかんなくなっちゃった」
「わかんないことないでしょ。ここをこうして、シャッター押すだけだよ」
わたしは渋った。ファインダーを覗いたら、君との関係に≪名前≫をつけなくちゃいけない気がしたから———。

かつて、わたしたちは「意味が分からない関係だ」と周囲に呆れられた。「友達以上恋人未満なんて、いい年して幼稚だな」とありふれた言葉でからかわれた。それが脅しみたいにわたしを震えさせてる。呪いみたいに縛ってる。

確かにね、わたしたちは全然意味がわからない。あんな感動的な一幕を演じたわりに、その後100回ぐらいお互いのことを刺した。二度と会わないみたいに話さなかった時期もあるし、きょうだいみたいにくっついていた時期もあった。お互いに傷つけあったり離れたり。でも、それじゃダメ? 誰かにわかりやすい≪ふたり≫じゃなきゃ、≪ふたり≫でいちゃダメなの?

ジリジリという音が聞こえる。巻き上げダイヤルを回す音。同じ音色がわたしの胸からも聞こえてくる。そんな気持ちをちっとも知らずに、君は「撮って」と何度もせがむ。ついにわたしは根負けして、カメラを取ってファインダーを覗いた。

その瞬間———風が吹いた。鬱蒼と茂る葉と葉の間から光が射して、君の顔をまだらに照らす。小さな四角の枠の中に、一つ、屈託ない笑顔がある。
「きれい」
口に出した言葉が胸をキュンと締め付けて「痛かったんだ」とわたしは気づく。心無いセリフで、大切な君との関係をからかわれて、わたし傷ついていたんだな。気持ちが言葉とようやく出会えた。痛みをじんわり感じながら、驚くほど軽く、シャッターは切られた。

現像した写真を見て思わず声が出た。 「え、真っ暗なんやけど?!」 「写ルンです、曇りに弱いねん」

ここは関西の片田舎、なじみの写真屋のおじさんが言った。刷り上がったばかりのL伴は、ついた指紋がはっきり見えるぐらい真っ暗だ。本当ならここには一週間前の東京と、≪君≫が写っているはずだった。

「データ化しよか、それなら調整で多少見えるかも」
おじさんはそう言って、奥に引っ込んだ。気にさせたかなと申し訳なく思いながら、わたしは手元を見つめた。わたしの目に見えたものが、写真にならずに暗闇になった。誰とも共有できなくなった。だけど、気持ちは晴れやかだった。これでいい。いや、これがいい。わたしたちの関係も、わたしの気持ちも。

若く、未熟で、トゲだらけの若者だった頃。痛みを感じたら自分が崩壊してしまうと思っていた。その理由が今ならわかる。他人から「何を痛がってるの?大げさだなあ」と笑われた過去が、わたしたちのすなおな痛覚を「恥ずべきものだ」と縛りつけている。それどころか「もしもこんなことで傷つくなら、お前は幼稚だ。だから大人の社会からは仲間外れにするぞ」と脅している。その経験が積み重なって、わたしたちには≪痛みを知覚することへの怯え≫が染みついた。だから心にヒビが入っても、見てみぬふりをしようとしてしまう。
だけど痛みは、無視し放置することでは決して治癒しない。痛みは「痛い」と感じて初めて、治療という対処ができるようになる。

それに本来、痛みとは「痛い」と感じた張本人だけが感受できる知覚だ。隣で友人がケガをしても、その肉体的な痛みを本質的には理解できないように、≪心の痛み≫もけして他人には理解できない。つまり、起こった出来事をどう感じるは≪わたし≫が決めることであって、他人が口をはさめるものではない、ということだ。そしてそれは、≪わたし≫と≪誰か≫の関係においても同じだ。

わたしがわたしを癒し、前へ進んでいくこと。そのことに君が力を貸してくれたこと。ふたりが過ごしてきた時間。≪わたしたち≫の関係。それには他人のジャッジなんて、ひとつも必要ないのだ。

改めて写真を見る。わたしたちのこと、他人になんて分かんなくていい。この写真みたいに、意味不明なままでいい。他人を安心させるために、わたしたちは一緒に居たんじゃないんだから。

「できたで!」と帰ってきたおじさんに追加料金を要求されて、わたしは思わずズッコケる。心配させてしまったかと気にしてた時間がもったいない。
写真屋を出て、家路をたどる。頬を撫でる風に春の訪れを感じる。

ねえ君、人からどう見えるかなんて、本当に気にしなくていいんだね。君が気づかせてくれたこと、わたしは何度も見失ってしまうけれど、そのたびにもう一度見つけ出すよ。100年前、何もない荒野に、永遠を信じて森を創った人たちのように。写らなかったあの日の互いの笑顔のように。誰にも見えない未来の景色を、わたしたちだけはずっと見ていようね。

Text/葭本未織