セックスの快楽が絶望に変わるとき

たけうちんぐ 映画 ギャスパー・ノエ カール・グルスマン、アオミ・ムヨック、クララ・クリスティン LOVE【3D】 2015 LES CINEMAS DE LA ZONE. RECTANGLE PRODUCTIONS. WILD BUNCH. RT FEATURES. SCOPE PICTURES.

 性描写がとことん上品で、芸術に値するくらいに美しい。そのため、本作で性的欲求を満たそうと期待すると裏切られる。
もちろん露出が半端なくてエロティックではあるけど、反応するのは下半身ではない。観る人の過去の恋愛の記憶だ。
恋愛で一度でも失敗したことがある人は、“3Dセックスシーン”という触れ込みだけで興味本位に劇場を訪れるのは注意したほうがいい。

 とにかくエグすぎる。それは精子がスクリーンから飛び出したり、性器が立体的に見えることではない。肉体的にも精神的にも恋愛のトラウマを掘り起こし、マーフィーとエレクトラの思い出に心をえぐられる。それはセックスの快楽が二日酔いにも似た絶望に切り替わるように。

 マーフィーは人格破綻者とも言えるくらい、身勝手で自分の欲求に素直な男。嫉妬深くて面倒臭くて何一つ共感できないマーフィーだが、エレクトラとの思い出に押し潰される姿が滑稽なようで愛おしくも思える。
なぜなら彼女もまた、マーフィーの気ままさに翻弄されながらも、性に奔放な性格を持ち合わせていたからだろう。

 スクリーンから飛び出すのは精子や性器だけじゃない。愛し合う男女の過去から現在まで、3Dが男女の愛の全てを飛び出させ、容赦なく曝し上げるのだ。

3Dが浮かび上がらせる“恋愛におけるトラウマ”

 マーフィーの回想は現在から過去へ遡る。これはギャスパー・ノエ監督の前作『アレックス』でも用いられた構成で、絶望の日々から希望の過去へ移りゆく。それにより、かつて愛し合っていたマーフィーとエレクトラの姿が痛々しく浮かび上がってくる。

 時折、瞬きをするように黒味が入り、カットが切り替わる。それがまるでマーフィーの瞳のようで、黒味が入る(=瞬きする)頻度が激しくなるにつれ、現実から逃れようとする意思すら垣間見える。

 3Dが効果を成すのはセックスシーンだけでなく、恋愛におけるトラウマの奥行きだ。有機質な肉体が絡み合うシーンと、無機質な部屋で一人佇むシーンの対比。過去と現在のギャップがより一層マーフィーに孤独感を与え、妻子に恵まれた状況でも悲劇に思わせる。
誰がどう見てもクソ野郎にしか見えないはずのマーフィーに、なぜか共感すら覚えてしまう。

 まるで結婚が恋愛の墓場であるように現実を突きつけるノエ監督の、ドSでいい意味で性格の悪い演出が冴え渡る。
本作は彼のこれまでの作品とは異なり、視覚的なグロテスクな表現はない。ただ、内臓を剥き出しにするかのごとく人の内面をえぐり出してくる。そこにボカシはない。描かれるのはボカされている性器より、もっと見てはいけない人間の本質的な部分だ。

 頭の片隅に留めておくはずのトラウマが3Dで迫ってくるなんて、ひとたまりもない。
息を飲むほど美しいセックスシーンと、えげつない過去の記憶。その未知なる映像体験は、劇場でしか決して味わえません。
下半身だけでなく、五感を刺激する性描写の大洪水。それによって炙りだされるマーフィーの絶望に深く浸ってみてください。

3Dが浮かび上がらせる“恋愛におけるトラウマ”

 元日の早朝、マーフィー(カール・グリスマン)は電話で起こされる。隣には妻・オミ(クララ・クリスティン)と2歳の息子・ギャスパーが眠っている。電話の主はかつての恋人・エレクトラ(アオミ・ムヨック)の母親で、彼女が行方不明になったと知らされる。
マーフィーはエレクトラとの2年間を思い出す。妬み、憎しみ、殺意すら湧き上がる別れから始まり、彼女と過ごした生涯最大の愛の記憶を辿っていく。
肉体を弄りあい、感情をぶつけ合う日々の回想はやがて出会った頃に遡り、マーフィーはその喪失感に打ちひしがれる――。

全国公開中!

監督・脚本:ギャスパー・ノエ
キャスト:カール・グルスマン、アオミ・ムヨック、クララ・クリスティン
配給:クロックワークス
原題:LOVE 3D/2015年/フランス・ベルギー合作映画/135分/R18

Text/たけうちんぐ