「2年経ったら結婚しよう」という言葉がわたしを6年縛り続けた

なぜ不満な男性と6年付き合ったのか

男性の後姿と、彼にしがみつくように抱きしめる真顔の女性の画像 panajiotis

先週書いたように、20代の半ばを過ぎた頃、わたしは恋人に“わたし”という人間への理解を求めるのを、諦めました。それまでずっとこだわり続けていたけれど、それは無理なことだったのだとようやく理解したのです。絶望しながらも、清々しい気持ちもありました。自分を長らく縛っていた鎖から自由になった解放感です。

そういう思いで付き合った新しい恋人のことは、これまで幾度かこの連載にも書いているので、今回は「なぜわたしは、その男性に不満を抱きつつ6年も別れなかったのか」、その心理の流れを探っていきたいと思います。

喧嘩ばかりだった付き合い始め

新しい恋人は、とても嫉妬する人でした。けれども、自分の嫉妬深さを認識していなかったと思います。わたしを束縛する行為を「恋人として当然の権利」だと思っていた。だから、自分の気に食わないような行動をわたしがとると、自分の権利が侵害されたと感じて、やめるように訴えたり、説き伏せようと怒ったりしていました。

もちろんわたしは反発しました。仕事も遊びも刺激だらけで、それをいくらでも吸収したいと考えていたのです。だから、付き合い始めは喧嘩ばかりしていました。あまりに喧嘩になるので、もう別れたほうがいいんじゃないかと思ったこともあります。そんなわたしの気持ちを敏感に悟ったのかはわかりませんが、彼はある時、こんなことを言いました。
「いまは付き合い始めだから、お互いのちょうどいい距離感がわからないで喧嘩ばかりだけど、たぶんそのうちわかってくるよ」。

なるほど、一理あります。それに、この言葉は「自分も変わるつもりがある」という意思があってのものだと思いました。だから、相手がこちらに歩み寄る気があるのならば、わたしも相手に歩み寄ろう、そう考えたのでした。