玉は投げなきゃ当たらない

 話がそれてしまいましたが、大概の人はそれで納得してくれる。が、その男性は違いました。わたしの丁重なお断りへの返信に書かれていたのは、「それでは会いましょう。いつにしますか」という言葉でした。

 会わないと承認しないというのならば、会えばいい。まさかの逆転の発想に「そうきたか!」と驚きつつも、当然のこと会う気はありませんでした。これ以上、メッセージをやり合うのも面倒くさくて、そのままスルーしましたが、深追いされることもなく収束したのでした。

 しかし、それ以降、Facebookで見知らぬ男性から申請が届くと、ふとその男性のことを思い出します。というのも今では、FBでつながっている人の数は800以上です。しかし、これから先、その中の何人と再会出来るのだろう。そう考えると、わたしはどれだけの出会いを無駄にしているのでしょうか。パソコンのタイムラインに届く近況を見て「いつかそのうち、何かに誘ってみよう」と思いつつも、思い切りがつかないまま。媒体が年賀状からFBに変わり、頻度が年に一度から頻繁に変わったことで「現状は把握しすぎているほどなのに、疎遠」という不思議な事態に直面することになってしまいました。

 だからこそ、あの男性の、厚かましいまでの積極性を少しでも見習えば、ずいぶんと人生は変わる気がします。玉は投げなきゃ当たらない。もしかしたら跳ね返って、ものすごい勢いで自分のところに戻ってきて痛い目に合うこともあるかもしれません。けれども、それでも投げ続けることこそが、人生を自分の思う通りのものに近づけるのに必要なことのように思えるのです。

Text/大泉りか

次回は<アラフォーだけど元カレの名前で検索します!なぜ年を取った女の欲望は許されないのか>です。
いつの時代も、何歳になっても、かつてお付き合いをしていた元カレのことは意識してしまうもの。アラフォーになっても元カレのことを意識してしまうなんてみっともない…?なぜ年を重ねた女性が女としての欲望をあらわにすることは「痛い」と言われてしまうのか。今回はそんなお話です。