どうでもいい一言が気にならない人間になりたい

先日、この一連の流れを友人に話したら「本当に気にならないの? 怒ったりしないの?」と聞かれたのだけれど、もう慣れた。どこにいたって、マウンティングを取ってくる人はいて、距離を置くこと以外にできる自衛としては「気にしない」ことくらいしかない。
周囲の人間と自分を比較して、「こいつよりはマシだろう」「こいつより私は幸せな立場にいるだろう」と思っている人は、一定数どこにだっている。その自分との比較対象となる「こいつ」が、私だった。きっと、今もそうなんだろう。

少しでも言い返したら終わりだ。同じところに落ちぶれていく。仲のいいふりをしたり、好意的な態度を取ったりしてはいるけれど、本当はあまりよく思っていないのだろう。それは私もきっと同じだ。
よい印象を抱いていないのだから、何気ない一言に、他人が察しない程度のいら立ちを感じてしまう。お互いがお互いをよく思っていないからこそ、何かのタイミングで関係が途切れるのは当然だ。いつかなくなる関係に、何か強い感情を持っていても、仕方がない。

「気にしない」というのは、対策として最善でありながら、なんとなく弱い。しかも、なかなか難しかったりする。人の些細な一言が気に障ったり、深読みをして傷つく度、自分の器の小ささを思い知る。ああ。どうでもいい人が放つ、どうでもいい一言が気にならないくらい、寛容な人間になりたい……これ、2019年の目標にしよう……。

Text/あたそ

次回は<昇給した。とまらない物欲と妄想。だけど、未来はやっぱりちょっと怖い>です。
やっと昇給!財布も、化粧品も、洋服も買える。お金があれば物欲はどんどん湧いてくる。ああ、もっとお金が欲しい……そんなことを考えているうちに、無限に広がっている仕事の選択肢が怖くなってくることも。