自分の心を通して春画を楽しむ

春画

ときに春画に描かれているカップルは、心の距離を縮めるような会話をし、愛の言葉を語り合う。パートナーに腕枕をしてもらって、ふたりで声を上げて笑ったり、久しぶりに会えたのに早くも朝が来てしまい、カラスの鳴き声をうらんだり。

思えば、様々な奇抜な場所や体位で交わり、わたしたちを驚かせる春画。性の形や表現が無限であること、そして互いに搾取してはいけないことを教えてくれます。

しかし注意して欲しいのは、あらゆる表現に対して自ら理性的に思考せず、賛同してはいけないということだ。女性が大きな男根を挿入され、白酒をだくだくと膣から流していても、それが正解とは限らないということを(もちろん大きな男根が好きな方々もたくさんいるだろう)。これらがファンタジーであることも、当時のユーモアであることも忘れてはならない。

春画は当時の様々な絵師たちが表現したものであり、その当時の表現の大多数が受け入れられたのかもしれない。しかし私たちが生きるのは現代です。
同じように、いま受け入れられた性に関する許容が、10年後も許されるとは限らない。

春画の多くは男性の絵師が描いたものであり、子孫の繁栄という願いが強かった。そのため女性はたくさんのヨガリ声をあげ、イクイクと簡単にオーガズムを感じている表現もあり、ほとんどのカップルは男女の組み合わせだ。

春画の中に印象的だった会話が書き込まれていた。
「オメェは春画の中の女のように何度もイクな」
なんともブラックジョークのような詞書だ。そう、これはファンタジーなのです。
理想であり欲望なのだ。現代の一部のアダルトコンテンツでも同じことが言えませんか?

わたしはフォロワーの方々に言われます。「あなたの選ぶ春画が好き、説明がすき」と。
わたしは人々が眉をひそめるような春画をほとんど出さないが、存在するということは伝えておきます。では、なぜ愛やユーモアを感じる春画を選ぶかと言うと、人間の本質に「性を喜びとして感じたい、幸せなセックスをパートナーとしたい」という想いがあることを感じているからだ。(そして私自身も感じている!)。

今回紹介したのは個々人の感想なので、それがそのままそっくり江戸期の文化の事実とは限りません。
そしてこれらの価値観が正解ではありません。
しかしハッキリ言えることは、自分の心を通して春画を観ることを楽しんでいます。

あなたはこれからもたくさんの人々と奇跡の出会いがあるでしょう(わたしとあなたが出会えたように)。そして様々な経験をし、昨日まで信じていた自分の価値観をひっくり返す出来事に会うかもしれませんし、今以上に豊かな感情や愛を知るでしょう。
もちろん、あなた次第で。

Text/春画―ル