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  • 2017.04.04

AVにとって「リアル」とは何か――素人モノAVとヤラセ

服部恵典さんの「東大院生のポルノグラフィ研究ノート」は連載1周年。今までの連載を振り返りながら、「AVのリアリティ」を考察する総集編です!服部さんがAV関係者にツイッター上でキレてしまったエピソードを題材に、プロレスファン、宝塚ファンについての研究を参考にして、「素人モノAV」について論じます。

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by Historyworks

 この連載「東大院生のポルノグラフィ研究ノート」 は、始まったのが2016年4月5日だから、この記事が公開された翌日で1周年を迎えることになる。
最近まで自分でも気が付かなかったのだが、私はこの1年間、「視線」「リアルゲイ」などテーマを変奏させつつも、ずっと「AVのリアリティ」について書いてきたのだと思う。

 思い返せば、私がAVのリアリティに人一倍こだわりを持っているのは明らかだった。私が一度だけAV関係者にTwitter上でガチギレしてしまったのも、リアリティの受容に水を差されたからだった。そのエピソードを話す前に、もうちょっと一般論を語っておこう。

フィクションなりのリアリティ

 さて、「AVはリアルだ」という言明はときに危険だ。震災AVの回で「いくつか留保を置くとしても、AVは『リアル』を捉えるメディアだ」と書いた「留保」とは基本的にそういうことだ。
AVが「リアル」なセックスのお手本として視聴されたとして、「はじめてのセックスで顔射する童貞」といったよくある滑稽話で済むのならまだいい。エスカレートして、初期AVの時代に顕著な「女はレイプでも感じる」といった最低最悪な思い込みが世間にはびこるのは、本来は何としてでも避けなければならない。
だから、AVが「フィクション」だ、と分かっておくのは、視聴者に必要不可欠なリテラシーである(けれども、それと同時に、対となる「本当のセックス」なるものが存在しないことは第3回で書いた)。

 しかし、フィクションにはフィクションなりのリアリティがある。それはたとえば、「『シン・ゴジラ』はリアルだ」と言うときと同様の意味で、AVはリアルなのである。
ゴジラがこの世に存在しないように、今日日、ガチの素人女性がAVに出演することなどそうそうないと考えておいたほうが、余計な落胆がなくて精神衛生上よい。しかし、どちらも「もしも存在したら……」というifの世界のリアリティは、崩そうとしないのだ。

AVとプロレスのヤラセ

 さて、冒頭に述べたガチギレの話である。あれは2015年12月、いつものようにエロ動画を物色していたときのことだ。

 AVなのにゴールデン番組でパロディもされた“ナンパ・ドキュメンタリー”の名作『テレクラキャノンボール2013』に出ていた素人女性のうち、特別可愛かった札幌の子が、『全国都道府県選抜!現地調達した超S級素人娘 四国編part2』という“ナンパモノ”に出演しているのを、私は偶然発見した。
札幌に住んでいたはずの素人がなぜか四国でまたナンパについていくということは考えづらいし、少なくとも後者がヤラセなのはほぼ確定だ。まあ、それはしかたない。私は「どうかテレキャノだけは、ヤラセじゃなくてガチのドキュメンタリーであってくれ……」と祈った。

 幸運なことに、それから8か月後、私はこの女性が「花城あゆ」という名のAV女優として動画に出演しているのを、また偶然発見した。発売はテレキャノ(2014年2月)⇒花城あゆデビュー作(2015年6月)⇒ナンパモノ(2015年12月)、の順だったので、完全素人だった彼女がテレキャノ出演時にAVに興味を持ち、のちにデビューし、ナンパモノに素人“役”として出演した、という流れだとわかる。

 私はテレキャノの「リアル」が守られた安堵感と、「花城あゆ」を2回も引き当てた自分の強運、そして何よりテレキャノがきっかけでAVデビューした女性がいるということへの感動を、Twitterで報告した。
しかし、あるAV関係者がこれを引用リツイートして、「こういうのは 演出 の一言にかぎる」と吐き捨てたのだ。

 まず、私は「素人だと思っていたらプロだったこと」に驚いたのではなく「テレキャノで『AV興味ある』と言っていた子が本当にデビューしたこと」に驚いているのに、前者の段階にとどまっていると見くびられていることにイラッとした。
そして何よりも、事情通の顔をして、その割には非常に浅いレベルで冷笑主義に浸っている無粋さに、一番腹が立った。
それはたとえば、プロレスファンが「プロレスって八百長だよ、知らないの?(笑)」と言われたときの気持ちにかなり近いと思う。しかもその一言を、当のレフェリーに言われたような最悪な気分だった。

「AV関係者とは仲良くしておいたほうが今後の研究にも得だ」ということは頭では分かっていた。しかし、「業界の人間なのにこの人はAVのことを何もわかっちゃいない」と思うと我慢できなかったので、間を取って、そのツイートをリツイートしたのちにエアリプした。
我ながら気の小さい反論の仕方だ。滑稽だと思うだろうか。だが、私は心底腹が立ったのだ。

プロレスとAVの「本気の瞬間」

 百歩譲ってプロレスが八百長だとして、ファンはファンだからこそ、教わるまでもなくとっくにそんなことは知っている。文化人類学者の小田亮は、プロレスを観るファンは「八百長と真剣勝負との揺れ動く境界上に創られる『物語』」を読み込んで熱狂していると分析した(『プロレスファンという装置』)。ファンは、八百長めいたショーの切れ間にきらめく本物の汗、真剣勝負の眼光、そういう紛れもない「真実」「本気」の瞬間に魅惑されているのである。
社会学者・東園子はこの分析を受け、宝塚ファンも、タカラジェンヌの絆が舞台上の演技にとどまらない真実であると確信できる瞬間を待ち望んでいると指摘した(『宝塚・やおい、愛の読み替え』)。私はAVも、プロレスや宝塚歌劇と近いことが言えると思う。

 この次元になると、もはや『シン・ゴジラ』を例に出した「嘘を嘘として楽しむ」という話とはやや異なる。そして、「この子だけは本物の素人かもしれないと信じながら楽しむ」という話だけでもない。ここまでくると、素人モノAVにとどまらない、より一般的なAV論になる。「女優」は、時に「素人」に戻る瞬間があるのだ。

「AV女優」とは不思議な名称だ。ほとんどみな演技の訓練などしたことがないのだし、巧みな演技力が必要な場面のほうが珍しい(初期は「AV女優」ではなく「AVモデル」と呼ばれることが多かった)。だから、そういう意味では「女優」というよりほぼ「素人」だ。というよりむしろ「素人」であっていい。
女優のわざとらしい喘ぎ声、棒読みの台詞……そういう嘘に塗り固められたAVの中で、しかしそれでも隠し切れない「本気の瞬間」=演技のない「素人」の瞬間を待ち望んで、視聴者はAVを観るのではないか。もちろん、それが本当に「本気の瞬間」なのかどうか答え合わせはできない。だからこそ、見つからない答えを探して、私たちは延々と今日もAVを観るのである。

  *  *  *

 1年間続けるのを目標に連載してきたのですが、無事、今回で達成しました。何者でもないただの大学院生にすぎない私がこうして書き続けられたのも、ひとえに読者のみなさんのおかげです。

 1周年を機に、「東大院生のポルノグラフィ研究ノート」は、本業の研究に集中するために隔週火曜連載から不定期連載へと変更させていただきます。これからも応援いただけると幸いです。

Text/服部恵典

次回は<女性向けアダルトVRは売れるのか――SILK LABOが撮ってこなかったもう1つの眼差し>です。
女性向けAVメーカーのSILK LABOが、人気エロメンの有馬芳彦さん主演で女性向けアダルトVR(ヴァーチャル・リアリティ)を4月に販売しました!服部恵典さんが実際に体験して、その感想を綴ります。これまで理由があって女性主観を撮ってこなかったのにVRを作ったのはなぜなのか?そして女性向けVRは売れるのか?

ライタープロフィール

服部恵典
東京大学大学院修士課程。同大学卒業論文では、女性向けアダルト動画について社会学的に論じる。
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