プロレスとAVの「本気の瞬間」

 百歩譲ってプロレスが八百長だとして、ファンはファンだからこそ、教わるまでもなくとっくにそんなことは知っている。文化人類学者の小田亮は、プロレスを観るファンは「八百長と真剣勝負との揺れ動く境界上に創られる『物語』」を読み込んで熱狂していると分析した(『プロレスファンという装置』)。ファンは、八百長めいたショーの切れ間にきらめく本物の汗、真剣勝負の眼光、そういう紛れもない「真実」「本気」の瞬間に魅惑されているのである。
社会学者・東園子はこの分析を受け、宝塚ファンも、タカラジェンヌの絆が舞台上の演技にとどまらない真実であると確信できる瞬間を待ち望んでいると指摘した(『宝塚・やおい、愛の読み替え』)。私はAVも、プロレスや宝塚歌劇と近いことが言えると思う。

 この次元になると、もはや『シン・ゴジラ』を例に出した「嘘を嘘として楽しむ」という話とはやや異なる。そして、「この子だけは本物の素人かもしれないと信じながら楽しむ」という話だけでもない。ここまでくると、素人モノAVにとどまらない、より一般的なAV論になる。「女優」は、時に「素人」に戻る瞬間があるのだ。

「AV女優」とは不思議な名称だ。ほとんどみな演技の訓練などしたことがないのだし、巧みな演技力が必要な場面のほうが珍しい(初期は「AV女優」ではなく「AVモデル」と呼ばれることが多かった)。だから、そういう意味では「女優」というよりほぼ「素人」だ。というよりむしろ「素人」であっていい。
女優のわざとらしい喘ぎ声、棒読みの台詞……そういう嘘に塗り固められたAVの中で、しかしそれでも隠し切れない「本気の瞬間」=演技のない「素人」の瞬間を待ち望んで、視聴者はAVを観るのではないか。もちろん、それが本当に「本気の瞬間」なのかどうか答え合わせはできない。だからこそ、見つからない答えを探して、私たちは延々と今日もAVを観るのである。

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 1年間続けるのを目標に連載してきたのですが、無事、今回で達成しました。何者でもないただの大学院生にすぎない私がこうして書き続けられたのも、ひとえに読者のみなさんのおかげです。

 1周年を機に、「東大院生のポルノグラフィ研究ノート」は、本業の研究に集中するために隔週火曜連載から不定期連載へと変更させていただきます。これからも応援いただけると幸いです。

Text/服部恵典

次回は<女性向けアダルトVRは売れるのか――SILK LABOが撮ってこなかったもう1つの眼差し>です。
女性向けAVメーカーのSILK LABOが、人気エロメンの有馬芳彦さん主演で女性向けアダルトVR(ヴァーチャル・リアリティ)を4月に販売しました!服部恵典さんが実際に体験して、その感想を綴ります。これまで理由があって女性主観を撮ってこなかったのにVRを作ったのはなぜなのか?そして女性向けVRは売れるのか?