ヒマラヤに行かないと幸せを感じられない人と自室でいい人「夫婦の住みたい街」/カレー沢薫

今回のテーマは「夫婦の住みたい街」である。

何回か話したことがあるかもしれないが、私は地元を出たことがない。
就学、就職、結婚全てを県内どころか市内で済ませてしまっており、この調子で行くと臨終もここになりそうなのだが、それに関しては「県境の山中で発見」など、最後の最後で「脱出」という可能性はある。

そして現在はコロナウィルスの影響、という設定で県外はおろか家からも滅多に出ない。
私が地球に生まれてきたのは、ひとり旅なのに、旅館で修学旅行生が泊まる部屋に案内されたようなもので、正直広すぎる、冥王星ぐらいで良かった。
何故そんなに狭い世界で生きているのかというと、出る力がないというのもあるが、そもそも出たいと思ったことがないのだ。

しかし、世間の風潮はそれとは逆である。
今は何でも国際化、県内どころか国内でしか通用しないような人間には先はない、という考え方である。
確かにその通りでもあり、今はウィルスの影響いろいろ制限はあるが日本も外国人が増えているし、今後さらに増えるだろう。
いつまでも日本や日本人であることにこだわるのはナンセンスである。
また市場としても日本は狭い、日本だと全国民が買ったとしても、約一億以上は伸びないので、それ以上を目指すなら海外進出は不可避になりつつある。

これからますます、物も人間も「世界で通用しなければ意味がない」という世の中になっていくだろう。

しかしこれは「超ビッグになりたかったら」という注釈がつく。
確かに世界を股にかけて活躍できる人間になれるならそれにこしたことはない。
しかし誰もがそんなアベンジャーズみたいな生き方が出来るわけがないのである。
特に「股にかけて」と聞くたびに下ネタを期待してしまう奴には無理だ。

メタルマンレベルの人間が「あいつの穴を埋めるのはトムホスパイダーマンじゃなくて俺だ!」とか言っていたら、それは「志が高くて偉い」ではなく「身の程知らず過ぎる」となってしまう。
チャレンジ精神があるのは良いが、無謀な挑戦をして 取り返しがつかなくなることもあるのだ。

「俺より強い奴に会いに行く」
これは日本を代表する格闘ゲームの主人公の決め台詞なのだが、立場だけで言うと彼は無職のホームレスである。
このように、高い志には時に苛酷な生活が伴うのだ。

それよりも「俺より弱い奴しかいないところで無双する」という主義の人間の方が、スネ夫レベルの良い暮らしをしている場合が多く、そこを目指すというのも十分ありである。

地方から出てきた大学デビュー丸出しの女が「マーケティング研究会」みたいなインカレに入ったところで、ちやほやされるどころか完全に被捕食者であり、気づいたら映画のチケットを80枚買っていたなんてことになりかねない。
それよりは「アマチュア無線同好会」の姫になった方が楽しい大学生活を送れる場合もある。

「身の程を知れ」という言葉は「ブス」同様、絶対他人に言ってはならぬ言葉だが、自らが「おう!ドブスやぞ」と暖簾をくぐってもいいように、自分で己の身の丈を知って生きる自由はある。

この「足るを知る」というのは、幸せになるための重要な要素である。