目先の怒られを回避するために隠ぺいするタイプの夫婦生活「夫婦と嘘」/カレー沢薫

今回のテーマは「夫婦と嘘」だ。

その前に極めて私事であるが、今顔面が粉を噴いている。
化粧をする必要がなく、いつでも顔を洗ったり、手鼻をかんだりできるのが無職の良いところなのだが、どれだけ馬油を塗ってもすぐに粉を出しはじめ、このままでは馬が絶滅してしまう。
さらに、唇の皮も剥けており、これが剥いても剥いても、無限に剥ける。

もしかしたら、今話題の昆虫食に続く食糧難解決の鍵がここにあるような気がするが、みんな私から噴き出た粉を食うぐらいなら迷わずコオロギを食うか、名誉の餓死を選ぶだろう。

乾燥する季節になってきたから、というわけではなく、夏でもこんな感じである。
こんなシリカゲルみたいな人間がいるのに、何故部屋の床が腐ってしまったのか、この世は解せぬことだらけである。

アラフォーとなり、自宅の階段の踊り場で、ダンスではなく「休憩」をするようになってしまったなど、様々な老化を感じるようになってきたがこの「保湿力」の低下は特に感じる。その内水中でないと生活できなくなるのではないだろうか。

だがその一方で一向に衰えることなく、むしろ未だ成長を続けているのが「保身力」だ。

夫が我が親に結婚の打診をしに行った時、母は「この娘は極めて自己中心的であるが、良いのだろうか」というようなことを言った。

日本人は自分の身内を「ふつつかな娘ですが」など謙遜でディスることがあり、それが欧米人には理解できず、最近は日本でも「そういう文化はなくした方が良い」という風潮になってきている。
しかしこれは「謙遜」ではなく「事実」な場合もあるのだ。
むしろ「ふつつかな娘」というのは「電源が入ったり入らなかったりする」というような明確な不具合を「ジャンク品」とボカして納品するために使っている場合がある。

それでクレームが入っても「ジャンクですから」と言えるように「ふつつかやと言うたやろがい」と返品を拒むことが出来る。
それを考えると、うちの親は具体的かつ致命的な不具合を伝えてしまったわけだが、夫は日本的な謙遜と受け取ったのか、そのままクーリングオフすることなく結婚してしまった。

私は製造元が太鼓判を押すほどの自己中心派ということだが、自己中心的というのは「自分ファースト」ということである。
「自分の身が第一」であり、ビジュアルがという意味ではなく「自分がかわいい」つまり、精神的には自分のことを橋本環奈だと思っている、ということだ。

この手のタイプはとにかく自分が傷つきたくない、つまり「怒られたくない」のである。