贈る側の気持ちも考えなければならない「誕生日の思い出」

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今回のテーマは「誕生日の思い出」だ。
誕生日と言えば「今まで集めたJPEGのイケメンたちが私がこの世に生まれたことをこぞって祝ってくれる日」としてすっかりおなじみだが、今年ももちろん楽しみだ。
むしろ今年は「去年は持ってなかったキャラ」にも祝ってもらえるので、年々誕生日が楽しみになってきていると言っても過言ではない。

年齢的には36歳になるので、嬉しいと言ったらウソになるが、何せ現在無職として、部屋から出ずに安穏とした生活を送っているので、家から出る必要性があった二十代のころより遥かに幸せである。
それに「二十歳に戻してやる」と言われても「自分」な時点で無意味なことにみんな気づいていない。よって「二十歳の石原さとみにしてやる」と言われない限りは断るつもりだ。

誕生日の思い出だが、これと言って特にない。いつも二人で何か食べて、小言を食らい、何か買ってもらう、の繰り返しだ。贅沢を言えば、私の誕生日だけは小言はなしでお願いしたい。

誕生日のプレゼントはお互い自分で欲しい物をリクエストして買ってもらうという制度にしている。
ちなみに今年の夫の誕生日は「欲しいものが特に思いつかない」という、彼の情緒が死んだ状態だったので未だ保留となっている。もしかしたら無職になった私に気遣っているのかもしれない。だとしたらこれからもその気遣いを忘れず生きてほしい。

今年の私の誕生日のプレゼントは、おそらく服だろう。
私は冗談ではなく、服を買わない。さらに今年は服を着る必要さえない無職になってしまったので、余計買わなくなった。
ちょっと前に、割と真っ当な職業の人が「面倒くさかった」という理由で全裸でゴミ出しをしてお縄になっていたが、私はその感覚に「わかり哲也」な側である。
しかしせっかく無職になれたのに全裸で外に出て御用になるというのは「ノーベル賞を獲った矢先、淫行で逮捕」ぐらい、迂闊でもったいない。

だが、服に興味がなさすぎるため、この金でガチャが何回回せると考えたら、なかなか自費で服が買えないのである。
確かにスマホで局部を隠すこともできるが、それだと5センチのずれが命取りになる。やはり広い面積隠してくれる「服」を買った方がいいだろう。

よって、誕生日にはチャンスとばかり服を買ってもらう。もちろん5万のトレンチコートを一着買ってもらっても「その下は全裸」という、スタンダードな変態になるだけなので、出来るだけアイテム数を増やしたい。
よって、年々買う店の単価は下がっており、今年はユニクロを予定している。