幸福も恐怖も
意外と至近距離にいるものだ

私などは無職になってもう何年経ったかも忘れたが、全く飽きる兆しがない、毎日無職という立場に対し、まるで今日が初めての日であるかのように浮つき、まるで最後の日であるかのように油断していない毎日だ。

会社員時代も「休みが長すぎる」と思ったことは一度もなく、例えゴールデンウイークが何日だろうと最終的に毎年「今年のGWは短い」という感想がでてくる。

結局「休みに飽きる」は、休んでなさすぎる人が自我の崩壊を防ぐため「どうせ休みがあったところで飽きるに決まっている」と自分に言い聞かせる自己暗示の言葉ではないかと思っていた。

しかし、私の夫が真顔で「休みに飽きる」と言い出す人だったのである。

青い鳥はすぐそばにいたり、ダースベイダーは自分の親父だったりと、幸福も恐怖も意外と至近距離にいるものだ。

そもそも夫は休みがあまりないのだが、たまに盆や正月に4連休ぐらいになると「こんなに休んでも仕方がない」「やることがない」と言い出し「休みだけど会社行ってくる」という謎の文言を残して家を出ていくことすらある。

「やることがないから会社に行く」というのは私にとって「暇だから手首を切った」と言われるぐらい不可解なのだが本人が苦でないならそれで良いだろう。

しかしこういうタイプは定年後に身を持ち崩すことが多いようだ。

仕事ばかりしていたから定年後やることがない、やることがないから時間がたたず、つい「酒」というワープ機能を昼間から使ってしまい、すぐ体を壊したり、恍惚の人になってしまうパターンがかなり多いと聞く。
夫も明らかにそのタイプなので、今仕事を増やす必要はないが、定年後にもできる仕事を見つけておいたほうが良いのではないか、と思う。
もし見つからない場合は「掃除」という仕事を増やすため、私も積極的に家を汚損させるなどして協力していきたい。

幸い私は現在「やることがない」ということはなく、どちらかというと時間の方が足りてない。

これは仕事が多いからではなく「やるべきこと」より「やりたいこと」を常に優先させているからである。
こうすることにより「やるべきことが何も終わっていないのに夜になっている」という怪現象が起こり、時間を持て余すことがなくなる。

ただ今度はその状況を忘れるために「酒」という記憶処理剤が用いられてしまう可能性がある。

問題はやることがあるかないか、ではなく酒など有害なものをやるかやらざるか、のような気がしてきた。

今はソシャゲやネトフリ、漫画アプリなど、無料や安価で楽しめるエンタメが無限にあるので、やることがない、ということはあまりないような気もする。

しかし「昼間から酒を飲みながら一日ネトフリ鑑賞」をしたら結果は多分同じだ。
やることを見つけるのも大事だが、それよりも大事なのが「素面でいる」ことである。

Text/カレー沢薫