魚がかかるまで待つ自信がない
最初から向いていないことがわかり切っているので、釣りをしたこと自体がないのだが、おそらく釣りというのは魚がかかるまで「待つ」時間が長く少なくとも、ずっと怪魚と殴り合うようなスポーツではないはずだ。
とてもではないが、魚がかかるまで待てる自信がない、かかるまでゲーセンとかに行っていいルールならやぶさかではないが、おそらくずっとその場にいなければならないのだと思う。
その間何かすることがあれば良いのだが、もし何もないとしたらやはり釣りは私には向いていない。
もし魚介類を取るなら、潜ってモリで突くタイプの方がまだ向いていると思うが、それも途中で目の前をカラフルな毒魚が横切ったら今まで追っていた魚を無視してそっちを追う、の繰り返しで永遠に捕獲できないと思う。
仮に釣りに挑戦したとしても初回で1匹も取れなかった時点で、クソゲー扱いして二度とやらないと思うので取れなくてもトライし続ける夫は、私に比べかなり忍耐力があるし、竿を置いて帰ってきたこともないので集中力もあるのだと思われる。
集中力の有無というのは生まれつきの部分も大きいと思うが「環境」も大事だと思われる。
集中するためにカフェに行っても隣の席で「今日中にキメる気満々」の宗教勧誘が行われていたらとても集中どころではないし、目の前にスマホ一台あるだけで永遠に集中を乱すことも可能だ。
つまり、集中を乱すものが多い環境にいれば集中力がなくなるのは当然なのだ。
夫の方が集中力があるのは整理整頓が出来ており周囲に物が少ない環境で作業をしているせいもあると思われる。
他にも棚を買ったり壁にやたらフックをつけたりと、己が活動しやすいように環境を整備することに余念がない。
対して私は、己が活動しづらくなる環境づくりを心がけている。
まず、自室に入った時点で何か踏むためテンションが下がるし、仕事机には、タブレット、パソコン、スマホが3方に配備され、無限に仕事に関係ないネットサーフィンができるようになっている。
この状態で集中するというのは例え高い集中力を持った人でも難しいだろう。
我こそは集中力に自信ありという人がいたら、いつでも私の部屋に挑戦してみてほしい。
だが私の部屋に入ったことによる健康被害についてはこちらは責任を追いかねるので御了承いただきたい。
Text/カレー沢薫
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