寛大という言葉の裏側

寛大・寛容という考え方はとても素晴らしいと私も思います。だけど、最近気が付いたのですが、寛大・寛容という考え方は優位に立つ側の発想なのです。そう考えると自発的に寛大や寛容になる場合には問題ないと思いますが、優位でない人に対して寛大・寛容を押し付けるというのは良くないことだと思うに至りました。

恋愛とはかけ離れてしまうかもしれませんが、ここ5年くらいのアメリカやヨーロッパで起きていることは優位に立つエリートのリベラル層から、寛大・寛容を強要された弱者が反発をした結果だと私は思っています。俗にいうリベラルの失敗と呼ばれる事象です。移民政策や人種問題、人権問題に寛大さや寛容さを強要された弱者が反発して、「もう寛大・寛容になれない」と分断を生じさせたのです。これは社会問題だけでなく人間関係にもあてはまります。

恋愛においても「惚れた弱み」という言葉がある通り、惚れられた方が優位に立ちます。今回のご相談内容から判断すると、あなたは「惚れた弱み」を持つ弱者です。そこにむかって「寛大であれ」と強要するのは酷だなと私は思います。あなたの反発は当然です。

寛大にならなくて良い

弱い立場の人間にも平気で寛大を要求する人は、この先もずっと寛大を要求し続けるでしょう。私だったら絶対に嫌ですが、世の中にはそれでも惚れているからと寛大さを受け入れる人もいます。あなたが受け入れることができるなら受け入れても良いとは思いますが、人生において一番大切なのは自分です。自分の心がそれではもたないというなら、別れてください。男は視野を広げれば、まだまだ沢山います。40代はまだまだ女ざかりです。時間を無駄にしないでください。

TEXT/肉乃小路ニクヨ

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初出:2021/01/05