第2回:山口智子はなぜ『ロンバケ』で連ドラクイーンから降りたのか(後編)

そして、山口智子は“渡辺満里奈”になった……!?

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 『ロングバケーション』の葉山南(山口智子)は、さまざまな失敗やすれ違いに悩みながらも、気どらない自然体の生き方で、仕事でも恋愛でも自己実現を果たしていきます。 それは、山口智子自身の生き方とオーバーラップして、当時の女性たちの憧れとなりました。

 ところが、『ロンバケ』の最終回には、モデル仲間だった南と桃子(稲森いずみ)との、次のようなやりとりが出てきます。

桃子「先輩。私たち、流行のおしゃれな服着て、胸なんか寄せて、上げちゃったりして。仕事して自立して、いわゆる“大人の女”ってヤツやってるじゃないですか」
南「やってるやってる!」
桃子「でも、中身は女の子のまんまなんですよね」
南「……」
桃子「ときどき、ぶっかぶかの靴履いてるような気がするよ」
南「ほんとそうだよねー! 変わり…たい? いや、変わりたくない」

 2人は、<バリキャリ系>と<ナチュラル系>の間で揺れ動くことで、2つのキャラ/生き方が、ひょっとしたら両立の難しい矛盾したものであるということに、うっすら気付きはじめています。

 そして、その矛盾を証明するかのように、実はこの『ロンバケ』での主演以後、山口智子は連ドラに一切出演していません。
唐沢寿明との結婚を機に、旅やアートをテーマにした教養番組や、CM出演以外には姿を見せなくなり、まさに“ロングバケーション”に入ってしまうのです。
つまり彼女は、働く女としてのキャリアを捨て、“渡辺満里奈”になる道を選んだというわけです。

“自然体”から“キャラ選択”の時代へ!

 ありのままの自然体でいれば、仕事でも恋愛でも成功できる。

 それが、90年代型恋愛ドラマが描いた幸せの形でした。
ところが、それは無理のある幻想だったということに、世の女性たちは気付かされていきます。
その結果、どうなったか。

 私は、『ロンバケ』の山口智子を最後に、<バリキャリ系>と<ナチュラル系>が、2つの異なる生き方にはっきりと引き裂かれてしまったような気がしてなりません。
女性はどちらかの道を、キャラとして戦略的に選びとらなければならない時代になったのです。

 <バリキャリ系>は、のちに篠原涼子や天海祐希、菅野美穂がその系譜を受け継ぐことになります。
でも、彼女たちが演じるキャリア志向の女子って、宝塚出身の天海祐希に代表されるように、過剰に男勝り。
まるで、女が“男のコスプレ”をしているみたいですよね。

 一方で、<ナチュラル系>は、宮崎あおいや蒼井優に代表されるような、麻やコットンが似合う透明感のある癒し系女子へと次第に変化していきます。
しかし、こちらも男性の求める“清純派”のイメージを過剰に意識しすぎるあまり、“少女のコスプレ”をしているみたいになってしまいました。

 どちらにしろ、キャラを選んでコスプレする=演じているのですから、それは“自然体”ではなく“戦略”です。
でも、戦略でキャラや生き方を自由に選べるなら、そっちのほうが自由で可能性が開かれています。

そのことに気付いた女性たちが、よりしなやかに、したたかに生きていく方法を模索しはじめたのが、山口智子なきあと(いなくなっちゃいませんが・笑)の2000年代以降だったと言えるのではないでしょうか。

恋愛ドラマに女性が共感できなくなったワケは?

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 そう考えると、恋愛ドラマがリアリティを失ってしまった理由もわかる気がしませんか?

 “ありのままで自然体の私を受け入れてくれる運命のカレ”との出会いにこだわり、恋愛のひとつやふたつでヒロインが自分の生き方を大きく左右されてしまう恋愛ドラマ的な世界観は、見ていて重いし、イタいし、なによりダサい。
それよりも、時と場所、相手にあわせてキャラと生き方を選べる現実のほうが、よっぽど自由で楽しいじゃん!
世の女性がそう考えるようになったとしても不思議ではありません。

 “自然体でいたい/いなければならない”時代が終わり、“自然派女優”山口智子がその役割を終えたとき、純粋な恋愛ドラマも、また成立しなくなったのです。

 そんな山口智子が、10月スタートのドラマでなんと16年ぶりに連ドラ出演に復帰するとか。
90年代を彩った“ナチュラルな演技”が、アラフィフのリアルをどう演じるのか。
そして、それが現代女性の目にはどのように映り、いかに響くのか。
ぜひ注目してみると興味深いのではないでしょうか。

Text/Fukusuke Fukuda