渋谷の荒野を泣きながら走った。クリスマスにひとりぼっちの君へ/葭本未織

クリスマス、祝祭を味わう

葭本未織さんの写真

都市の祝祭。それは、押さえつけられていたものがあふれ出すためにある。渋谷は荒野。その果てに夕日は落ちて、妙なる調べが天より響く。

クリスマスにひとりぼっちだったことがある。
いや、正確にはひとりぼっちではなかった。その日は公演に向けての稽古があり、劇団員と夢を語らいながら田町で飲んだりしていた。今思えば、ザ・青春である。だというのにひとりぼっちという言葉でしか自分を形容できなかったのは、その年のクリスマスが上京してからはじめての、恋人がいないクリスマスだったからだ
それまで、「クリスマスまでに恋人が欲しい!」という言葉を完全に冗談として受け取っていた。しかしながら何事も、自分の身に起こると痛いほど光る。あれは痛切なまでに、自己の存在理由を欲する者の叫びだったのだ
飲み会後、一人の帰り道で、わたしは荒れに荒れた。

わたしは何のために生きるのか? という問いかけがある。自分の存在理由を自分にたずねる問いかけ。思春期にさしかかると誰しもの胸をよぎる問いだ。子供時代を過ぎて、大人になっても時折、この問いが鎌首をもたげる。その頻度があまりに多くなると、わたしたちは問いの頭をぐっと抑えつけ、無かったことにする。無かったことにして、生活を重ねる。なぜなら、日常を生きながら、その問いに結論を出すことは、あまりに難しいから。

だけど18歳から24歳のわたしは、その問いの結論を超短絡的に出してしまった。すなわち、「わたしは“恋人”のために生きる」と。それはもう呆れるほど、思考停止的に。

わたしは恋人のために生きる。と、大真面目に考えていた。18歳だった。冬の大阪の予備校で、東大志望のクラスメイトたちが、あ、雪、とはしゃいで回る姿を、早慶志望のわたしはガラス越しに眺めていた。一人黙々と勉強していた。手元の参考書は何もかも、早稲田に通う恋人のお下がりだった。努力もむなしく第二志望の学校に入ることになったわたしは埼玉に住んだ。19歳だった。誰も頼れない武蔵野の冬の寒さは瀬戸内育ちの身にこたえた。学校に友達は一人もいなかった。さして勉強したくない内容の授業もサボりがちだった。バイトでは使えなさすぎて出勤するたびに怒鳴られていた。その時も、それからも、多少の帰属意識は芽生えても、24歳までずっと、わたしに居場所はなかった。ただひとつ、恋人の腕の中を除いて。

と、なんだかずいぶん美しい思い出のように書いてしまった。これが美しく成立するのは、“恋人”が固有名詞を持った一人の人間として存在している場合だけだ。実際のところ、わたしは“恋人”と名がつくのであれば誰でもよかった。だから18歳の時の恋人と別れても、その次の恋人と別れても、わたしは間を置かずに恋人をつくった。なぜか。それは、東京に家族がいないわたしにとって、恋人がこの街に居るという事実だけが、わたしが東京に存在し続けられる根拠だったからだ。

“恋人”はいずれ結婚するふたりに神様がくれた名前。所帯を持って、定住し、子供が生まれ、東京は青春の跡地からわたしの日常になる。
そんなふうに夢見ていた。少女だった。わたしは東京とひとつになりたかった。わたしは東京という街に恋をしていた。恋人と名付けられた人はその擬人化に過ぎなかった。

と、今度はずいぶん自嘲的に書いてしまった。しかし若い自分にとって恋人の存在理由が歪んでいたことを自責したいのではない。反省したいのは、わたしが自分の存在理由について考えることなく数年を過ごしてしまったことだった

「わたしの存在理由はなにか?なんのために生きるのか?」という問いを放棄したまま。「恋人のために生きる」という笑止千万の答えを、真に正しいと思い込んでしまったまま。

6年の歳月が経ち、わたしは24歳になり、代償はその年のクリスマスにきた。
恋人と名のつく存在がいないはじめての冬、わたしは東京に居続ける根拠を失い、それは、東京と離れた自分など存在しないと思っていたわたしにとって、アイデンティティを失う出来事だった。

だけど実のところ、この手の不安定さは自覚していた。夏に最後の恋人と別れてから、自分なりに考えたのだ。アイデンティティを持続させる必要不可欠な要素を、恋人という他人に定めてしまったこと。依存してしまったこと。まじめに自分と向き合わなかったこと。それはもう十分に反省していた。そして、自分の存在理由をわたしはわたし自身で見つけなくちゃいけないってことに、行きついていた。

それでも不安定の波と何度かぶつかった。ぶつかりながら秋が過ぎ、冬が来た。自分では自分のことをわかっているつもりだった。だからささやかな贅沢をした。スターバックスのチャイティーを飲んだり、整体に行ったり。自分をいたわって、なんとかやり過ごせるように調整していた。つもりだった。だのに。