中田英寿に似た男は信用できない/宮崎智之

フリーライター宮崎智之さんのプロフィール写真

終わった恋の足跡を辿る、忘恋会2018。
今年の締めくくりにふさわしいとっておきの恋愛納めコラムを厳選してお届けします。
一旦ケジメをつけて、来る2019年の新しい恋に備えましょう。

自分ほど愚鈍な少年はいなかったと思う。小・中学生時代は、蓄膿症なのか、アレルギー性鼻炎なのか、それともその両方なのか、年がら年中いつも鼻が詰まっていて、頭に白い霧のようなモヤがかかっていた。その頃の自分を一言で表すとすれば、「肉」である。愚鈍な肉が友だちと喋ったり、カブトムシをとったり、ご飯を食べたりしていた。今思えば、肉は肉なりに愉快な人生だった。なにせ、悩みというものを持とうにも、持ちようがなかったからだ。その代償なのか、当然のことながらほとんど記憶がない。肉は、ただただ肉だった。

そんな肉に「人」としての道を切り開くきっかけが与えられたのは、中学2年生のこと。担任の先生から「お前は口呼吸しているから、頑張って鼻で呼吸してみろ」と勧められたのだった。まだ鼻炎は完全に治っていないが、小学生のときよりもマシになっていた。

私は恐る恐る鼻で呼吸してみた。すると、どうだろう。突然、目の前が開けたのである。それまでは視界がぼんやりしていて、他人と自分との区別もつかなかったのが、自我とも呼べるものに目覚め始めたのだ。ただの肉が、少しだけ思考することができる「人肉」になった。そこから私は、35歳のときに蓄膿症と鼻中隔弯曲症の手術を受けて完全なる「人」になるまで、少しずつ「人」としての階段を登り始めるようになった。今回は、そんな階段を登る過程で起こった、ある「事件」のお話。

クイニーアマンを食べながら聞く「人」の日常

さて、その後、なにはともあれ数え年3歳の「人肉」として私は高校に入学したのだが、そこで衝撃的なことが起こった。なんと、告白されたのである。つい最近まで肉だったのに、人としてのキャリアをすでに15年もつんでいる大先輩に告白される――。奥手どころか、恋愛の回路すら開発されていなかった私にとって、それは天と地がひっくり返るほどの衝撃的な事件だった。

と言っても、私が突然モテ始めたわけではない。入学した高校は、幼稚園からある一貫校で、内部生にとって、高校から進学する外部生は真新しく感じられるだけなのだ。私に告白してきた女子生徒は、内部生の中でも比較的目立つ、発言力があるタイプだった。

はじめは手紙を渡されることから始まった。たわいもない日常の悲喜こもごもが綴られていた。最後に「宮崎くんはどう思う?」と書かれていたが、人肉の私が人間様の日常に対して、物申せることなんて一つもない。何度も手紙を返そうと思ったのだが、結局、一度も返事をすることができなかった。

東京の大秘境・西多摩に住んでいた私は、通学に武蔵五日市線というマニアックな路線を使っていた。彼女とは別の路線だったのだが、武蔵五日市線は、拝島駅で15分くらい停車して発車しないという、こちらもなかなかの肉的な路線だった。発車を待って電車内の椅子に座っている私に、彼女はここでも日常的なあれこれを飽きることなく話していた。椅子に座った私は、当時流行っていたクイニーアマンを食べながら、話を聞いていた。

そんなことが続いたある日、彼女はいつもの武蔵五日市線の車内から、私を駅のホームに連れ出した。強引に手を引かれて、柱の裏に連れていかれる私。「カツアゲされるみたいな状況だな」などとのんきに考えていた私に、彼女は「付き合ってください」と言ってきた。青天の霹靂とはこのことである。まさか自分が告白されるなんて、1ミリも思ったことがなかったからだ。そのことの後は、あまり記憶に残っていない。訳も分からず告白され、訳も分からず(ロクに返事もせず)付き合うことになった。