「恋人ロード」を歩く人と人肉

しかし、直前まで肉だった当時の私にとって、異性交際のハードルは高かった。通っていた高校は最寄駅までの道のりが長い。最短のルートを使っても20分くらいかかる。面白いのが、生徒たちから通称「恋人ロード」と呼ばれる道があったことだ。その道を使うと30分くらいかかるのだが、そのぶん人気(ひとけ)が少なく、二人の時間を長く楽しめる、というわけである。

私たちは部活動が終わった後、校舎前で待ち合わせて「恋人ロード」を歩くようになった。私はそれが「付き合う」ことだと思っていた。ところが、人肉としてはそうであっても、人としては違ったらしい。ある放課後、彼女の友人に呼び出されて、「なんで手をつながないの?」と問い詰められた。そういえば、「恋人ロード」で私の手に触れようとしてきた彼女の手を、驚いて振りほどいたことがあった。あれは、そういうことだったのか。

「次、手をつなごうとしてきたら、絶対に振りほどかないぞ」と、私は強く思った。自分からつなごうとする発想は、浮かぼうにも浮かんでこなかった。それから2週間経って、ようやく私たちは手をつなぐことができた。

せっかく家の電話にかけてきてくれた彼女をよそに、子機を抱えたまま寝てしまった、なんてこともあった。そのほか、デートをするなど、あれやこれやあったはずなのだが、残念ながらほとんどの記憶がぼんやりしている。いいかげんなエッセイだなあ、と思わないでほしい。どこまでも、その頃の私は人肉だったのだ。

そんな中でもよく覚えているのが、「恋人ロード」を歩いている時、彼女が将来の夢を語り出した日のことだ(思えば、いつも彼女が一方的に話をしていた)。彼女の熱意に心が打たれ、私は「きっと叶うよ」といつになく力強く言った。彼女は「じゃあ、夢が叶って有名になったら、『あれは元カノなんだ』って自慢してね」と返した。今考えると、その頃から気持ちが離れていたのであろうが、当時の私には気づくことは到底できなかった。

結局、彼女には、付き合って3か月後、駅前のたい焼き屋の前で振られてしまった。理由は、「元カレが忘れられない」というものだった。私は、告白されて以来、二度目の衝撃を受けた。衝撃を受けたことに対しても、衝撃を受けた。いつの間にか私は、彼女を好きになっていたのである。

彼女の日常を聞くのが好きだった。いつの間にか、それが自分の日常になっていた。日常が終わることを、どう受け止めていいのかわからず、私はしばらくふさぎこんだ。しかし、彼女の日常は彼女のものであって、「私たちの日常」ではない。私は、「私たちの日常」を作ることを、最後まできなかったのである。完全なる人になった今ならば、そのことの愚かさがよくわかる。

ちなみに、その元カレは、サッカーのクラブチームかなんかに入っている同じ高校の同級(内部)生だった。当時、日本代表だった中田英寿に似ていて、本人もそれを意識してか、髪型を寄せていた。それからの私は、中田に似た男と出会っても、一切信用しなくなった。

唯一の収穫は、ショック療法で、人肉がより人に近づいたことであろうか。テレビで中田英寿を見ると「いけすかないな」と思うようになったのもこの頃からだったが、「いけすかないな」という感情を抱けるようになったのも、ある意味で、大きな成長である。兎にも角にも私の初めての恋愛は、こうして幕を閉じたのであった。彼女と中学生時代の担任には、感謝してもしきれない。

(「失恋手帖 vol.1」より大幅加筆して転載)

Text/宮崎智之

宮崎 智之(みやざき ともゆき)
1982年生まれ、東京都出身。地域紙記者、編集プロダクションなどを経て、フリーライターに。カルチャー、男女問題についてのコラムのほか、日常生活における違和感を綴ったエッセイを、雑誌、Webメディアなどに寄稿している。2018年6月に『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)を出版した。共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル、2019年2月発売予定)近刊。TBSラジオ「文化系トークラジオLife」にレギュラー出演中。
Twitterは、@miyazakid

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