忘れられない女の子の話

そういうわけで、私は「魔性の女」と聞いてもあまりピンとこないほうなのですが、過去にひとりだけ、ああ、あの人はそうだったかもしれないな、と思う女性に会ったことがあります。

彼女はカノンちゃんという名前で、8歳でした。私が初めて彼女に会ったのは小学生のころ通っていたバイオリン教室の発表会の楽屋で、ほかの子どもたちが熱心に楽譜を睨んで発表曲の練習をしているなか、カノンちゃんだけがひとりでつまらなそうに漫画を読んでいたのを覚えています。

カノンちゃんはベリーショートのよく似合う、目が大きくて背の高い、美しい子でした。たまにバイオリンの教室で会うとき、彼女はいつも男の子みたいなラフなパーカーかスウェットを着ていましたが、それでもハッとしてしまうほど美しかった。

発表会の日、カノンちゃんに「練習しなくても怖くないの?」と聞いたら、彼女はキョトンとして私に言いました。
「下手でも誰も気にしないし」。

本番中、私はカノンちゃんの演奏をステージから聞いていたので、彼女の演奏がところどころで止まってしまって、そのたびに伴奏のピアノの先生が困った顔をしているのが見えました。カノンちゃんは出番の前、バイオリンなんて全然好きじゃないし、家でもほとんど触らないと楽屋で私に話してくれました。

しかし、出番を終え、文化ホールのロビーに歩いてきたカノンちゃんの手のなかには、びっくりするくらいの量の花束やお菓子がありました。聞けば、同級生の男の子やスイミングスクールの先生、彼女の通う歯医者さんまでが、カノンちゃんの演奏を見に足を運んでくれたのだと言います。

花束を持ってニコニコ笑うカノンちゃんを見ていたら、「下手でも誰も気にしない」という言葉の意味が初めて分かりました。私は正直、彼女のことが怖くて仕方なかったけれど、彼女は周りにそんなふうに思われていることをまったく気にしていないようでした。

「魔性」というものが、それが憧れであれ憎しみであれ、他者から向けられる強い感情をエネルギーにして輝きを増す性質を持っているとするならば、あのころ、8歳のカノンちゃんには間違いなく「魔性」が宿っていました。いま生きていれば25歳になったはずの彼女は、いったいどんな女性に成長したんだろうとたまに考えます。

魔性、なんて抜け落ちてしまって穏やかな大人の女性になっているような気もするけれど、もしかしたら彼女だけは変わらず、いまでもあんなふうに……なんて悪い想像をしてしまうのは、ただの私のエゴでしょうか。

Text/生湯葉シホ
初出:2018.12.20

次回は <私を翻弄する「攻撃の正体がつかめない」タイプの魔性/本人>です。
「魔性の女」というテーマのリレー連載。今回はインターネットで遭遇した魔性の女という今までとは少し違った視点から語っていただきます!」