顔は誰のためにあるのか?

そもそも、わかってないなーと思う時点で、私の顔に対する感覚は少し歪んでいます。だってはじまりは、「もっとキレイだったら、人生幸せになれる」的な、顔は幸せのための1つのパーツとして考えていたからです。

でも気づいたら、顔をキレイにすることが目的にすり変わっている。「自己満足」という言葉を用いればそれまでですが、“幸せ”とか“愛される”とか、そういうキラキラした状態を手に入れることとは別に、顔への満足度を高めることは、人生において非常に重要なトピックとなっていたのです。

そんな話を、ある時彼にしてみました。整形をするなら、家族や恋人の同意は必要ですから、いつかするかもしれない…くらいに、何となく相手の中の整形観を聞いてみたのです。
すると「顔なんてものはもともと自己満足だから、好きにいじればいい」と一喝されました。よく男性は天然願望が強いと思っていたのでびっくり。

「ただ、世の中には整形をしていい人としてはいけない人がいると思っている。単純に顔にコンプレックスがあるからしたい人は、したらいい。だけど、例えば誰にも受け入れられないみたいな、美人になることで何かしらの問題が解消できると思っている人は、整形はダメ。
キミはただのコンプレックスだから、どんどんいじれば」

さらにそう続けるのです。達観していて、びっくり。なんでそんなことが言えるのか…と思ったら、忘れていました。実はこの男。7年間銀座のクラブで黒服を務めていた、いわば“女の扱いのプロ”だったのです。

「ちなみに銀座には整形している人、多いの?」と、野次馬根性丸出しで聞くと、「ノーコメント」と一言。でも病んでいる人は多いと教えてくれました。なるほどー。

こうして近い人に「いつでも整形すれば」と言われた結果、私の整形願望はしゅんと収まったのですが、またこっそり湧き上がり、いつかする可能性は十分あります。
その時は「アイツしたな」と気づいた方だけほくそ笑んでいただければと思いますが、結局顔面も人生も、人の目や一般常識を手放し、自己満足100%で突き進むことが、結果としてコンプレックスも跳ね飛ばし、幸せにもなれるのかもしれない。そんなことを思ったのでした。

美人なだけで、生涯得られる金銭が3,000万円違う…そんな情報もあるそうですが、具体的な得がなくとも、見た目がいいと思えるとのその日のテンションは倍くらいに上がるものです。
若さを前にすると敵わなくなる三十代にはなりましたが、顔自体をもっと良くしたいと思うと同時に、顔というものが自分にどれほど影響を与えているのか今いちど考える。すると、自分が何に怯えていたり何を望んでいるかが見えてくるので、これも大事な自己成長だなと思うのでした。