私の死生観

 私にとって初めての近親者の死は小学校3年の時に祖父が亡くなったことでした。
当時は人が死んで消えてしまうことがとても恐ろしく、
この世から何も亡くなってしまうことがただただ怖くて、
死は暗い闇の中に突き落とされるような感覚でした。

 中学生の時には自分が死んだ夢を見ました。
夢の中で、自分の葬式に制服を着た友達が来てくれて、話しかけても
誰も気づいてくれない。みんな自分の遺影に手を振っていて、
なぜかBGMに坂本九さんの「上を向いて歩こう」が流れていました。
途方もない孤独で泣きながら目を覚ました記憶があります。

 それから20歳の時に父が亡くなり
他にも二人の祖母や伯父の死を経験しました。
尊敬していたゲイの先輩や後輩などの死も経験しています。
いくつもの死を経て、私は徐々に死をただの恐怖であると捉えなくなりました。
死は一つのピリオド。終止符。
そして何事も終止符があるから愛おしくて、切なくて、醜くて、美しいのだ、
と思うようになりました。

Stay hungry, stay foolish.

 永久に眠るかもしれないし、輪廻転生をするかもしれない。
私はどちらかというと輪廻転生じゃないかと考えているんですが、
それも死んでいないので、よくわかりません。
どちらにしても死という区切りがあることで、
それまでに何をしようかということを考えるように
凡人は設計されています。私もそうです。

 私はまだまだ好奇心が旺盛で
これからの科学技術で人間がどうなっちゃうのか?と本気で考えてみたり、
もっと歌が上手くなりたい
もっと美味いものを食べてみたい
もっと良い男に触れてみたい
もっと面白い人に会ってみたい
とか下世話で俗っぽい願いを持った人間です。

 あまり高尚なことを考えると早く区切りが来てしまいそうで、
敢えて多少下世話な願いを持つようにしています。
だって早く区切りを迎えた人はだいたい素晴らしい人だったから。
賢いことは素晴らしいことですが、賢くないこともまた人生には大切なのです。

 Stay hungry, stay foolish. というスティーブ・ジョブズが
遺した名言を都合の良いように解釈しながら生きていく
2018年の冬の私です。

Text/肉乃小路ニクヨ

次回は<2018冬季五輪まもなく!女子フィギュアスケートの私なりの楽しみ方>です。
2月9日から2月25日は、2018年平昌五輪!肉乃小路ニクヨさんが楽しみにしているのは、スキーでもスノーボードでもなくフィギュアスケート。バンクーバー五輪、ソチ五輪の浅田真央さんに涙したニクヨさんの今年の楽しみ方とは。