相手との違いを認められるのは「一番好き」だから

さて、いまわたしが一緒に暮しているのは、「一番好きな人」です。付き合い始めの頃から、今に至るまでここ10年の間、ぶっちぎりダントツ一位を保っています。しかし、一位を保っているとはいうものの、夫はパートナーとして、何もかもが最高というわけではありません。価値観が合わないことも多いし、彼の行動に腹を立てることもしょっちゅうです。

とくに子どもが生まれて以降は、家事の分担や育児の方法で揉めることもものすごく増えました。けれど、それらの障害や困難を乗り越えてられてきたのは、ひとえに、「一番好きな人」だからだと思うのです。

結婚生活では、本当に多岐にわたり、小さな価値観の違いが、まざまざと露わになります。
例えば、インフルエンザの流行中に発熱しても、なかなか病院に行きたがらないこと(自発的に行け!)、手土産を千円のロールケーキにするか三千円の焼き菓子にするか(そもそも「わからないからどっちでもいいよ」と相談に乗ってくれない!)、パッケージのまま出したキムチに直箸を突っ込むか取り箸を使うか(直箸だと不衛生だしすぐに悪くなる!)、リメイク版「サスペリア」の感想(「観たい!」とリクエストされてイヤイヤ観に行ったら、めちゃくちゃ最高!となったが、当の夫は隣で半分以上、爆睡していた!!)など。

そういう様々な相違がくっきりとする場面において、相手の意向を曲げさせて、支配するのではなく、「なるほど、あなたはそうなのね」と認めることができるのは、相手への、愛という名のリスペクトがあってこそだと思うのです。

二番目を選ぶことは自己肯定感を下げる

そして、もうひとつ。わざわざ二番目を選ぶことって、自己肯定感を下げることにもなると思うのです。だって、一番が叶わない自分、一番を諦めた自分、一番に相応しくない自分で生きていくことになるのですから。

そんな自分を納得させるために、二番目に選んだ仕事や恋人を、妥協して選んだものとして、どことなく下に見て、バカにしてしまうのって、悲しいことだと思います。とにかくわざわざ、二番目を選ぶことなんてない。

Text/大泉りか