幼稚園の頃から「背徳感」を感じていた―性と共に生きるということ

「性と積極的に関わりながら生きる」ということ

大泉りか 別れ 卒業 状況 春 女 男 喧嘩 Paula Satijn

 こういう仕事をしていると、「やっぱりエロいんですか?」と尋ねられることがよくあります。
頭から「ヤレる」と思って近寄ってくる男性もいるし、「ちょっと、こっちとは違う人種ですよね」といったような、謂れのない差別を受けることもある。

 しかし、不当ながらも「まぁ、仕方ない」と腹も立てずに、意外とあっさりと受け入れることが出来るのは、やっぱり心のどこかで「自分は人よりも、ちょっとだけエロいのかもしれない」という意識をうっすらと持っているからです。しかし、ここまできても、「わたしはエロい女だ」とはっきりと言い切ることが出来ず、「だってエロライターからのエロ小説家という経緯をたどってきたのだから、自分をエロいと自称してもいいですよね……」とぐだぐだと考えてしまうのは、面倒くさいことに、「わたしって、エロな人なんですう」と自称することを、わたしの自意識が、なぜだか許してくれないからであって、決して「エロ」であることが恥ずかしいからでははありません。

 そう、今はもうエロを生業とすることに、迷いも恥じらいも悩みもないけれど、葛藤していたこともありました。
だってエロというものは、本来は隠しておくべきプライベートなものであるとされていて、そこを剥きだしにして社会に生きるということは、そこそこに覚悟が必要なことでもあるわけです。
付き合っていた男性に「頭がおかしいんじゃねーか」と言われたこともあれば「露出狂とか、そういう変な性癖の持ち主だって理解すればいいのかな」と笑われたこともある。そういう傷を受け、泣き、歯を食いしばり、時には自信がぐらついてブレることもありつつも、いま、エロを自らの“生きる道”として、ここにいる……というわけで、“シリーズ恥”と題しまして、この連載内で時折、過去の出来事を交えながら、「性と積極的に関わりながら生きる」ということについて考えていきたいと思います。もしよろしければお付き合いいただけますと幸いです。

前後の連載記事