『美女と野獣』と『シュレック』

アル:「客体か、主体かだよね」と言ってた男友達が昔「『美女と野獣』と『シュレック』は、『電車男』と『59番目のプロポーズ』に似ている」って感想をくれたんです。

『美女と野獣』は美女と出会って野獣の呪いが解けて、王道のイケメン王子に戻る話。
『シュレック』は醜い怪物のままのシュレックが、本来の姿に戻ったフィオナ姫と愛し合う話。
『電車男』は美女と出会ってオタクという呪いが解ける話だけど、『59番~』はオタクのまま付き合って、私も王道じゃない素の自分に戻れる話だと。

AM:『59番~』は「王道じゃなくていい、ありのままでいられる相手が一番」って話ですよね。

アル:「王道になるべきだ」って人を型にはめようとすることが呪いだと思う。
その呪いのかかった自分と戦うことが、<自分で自分を幸せにする、それには自己受容が必要>って話なのかなと。

AM:「王道じゃない自分はダメ」と「ありのままの自分を認める」の間で揺れますよね。

アル:うん。私も素の自分にコンプレックスがあったけど、モテテクとか愛され○○とか、男に媚びるようなことは大嫌いで。「自分を偽らなきゃダメなのか?…でも絶対イヤじゃ!」って葛藤していました。
あと「うちの家庭は普通じゃない」ってコンプレックスがずっとあったから。家庭環境を理由に彼氏の親に反対されたりもしたから、そういう世間との戦いもあった。

AM:その戦いにどうやって勝ったんですか?

アル:勝ったというか、ソフトランディングだと思う。「これが自分なんだから、受け入れてやっていくしかねーな」っていう。
あと「人それぞれ地獄を抱えている」って現実を知ると、自分を客観的に見られるよね。「私ばっかり不幸」と考えるのはやめようって。
どうせ私なんてって自分を憐れむのはやめて、「戦ってやるぞ!」と思えるか。勝つことじゃなく、戦い続けることが強さかなと思います。

AM:アルさんがそんな風に思えたのはなぜでしょう?

アル:それはやっぱり、キン肉マンや北斗の拳を見てきたからじゃないかしら。進撃の巨人を見ても「ミカサみたいに強くなりたい!」と思うし。だから、フィクションの力ってすごいな~と。
…ちなみに去年、屋久島に旅行してすごくよかったんだけど、友達に「でも進撃の巨人の方が百倍よかった」と言ったら「比べるものじゃないよ」と返されました。

AM:たしかに比べるものではないかも(笑)。

アル:まあね(笑)。でも私は旅行で人生変わったことはないけど、漫画で変わったことはいっぱいあるから「リアルの方が上」とかは思わないです。