心のアクセル、理性のブレーキ

 俺はすごく思うんです。
昨日の彼と今日の彼は同じ人でありながら、違う感情を持っている。
だけど、見過ごしてしまう。

 それは、自分たちが恋人に対して感じる「楽しいいつもの2人のノリ」の惰性がそれを見過ごさせるんじゃないかって。

 もしかして昨日の自分の不用意な発言が実は彼のなかでは魚の小骨のようにつっかえているかもしれない。
きっと微細なサインは出してたはずなのに見逃してしまう。
小さいことのようで「不満」として確実に蓄積されていくものじゃないでしょうか。

 このことに敏感で居続けられることは、良い関係を継続していくためにはすごく大事なことなのに、すごく難しい。
どうしてもナアナアにしてボーダーラインを破ってしまいがちで、それをきっかけに関係を破綻させてしまいがちだ。

「恋人」は家族でも友人でもないのに素の自分を許容してくれる。
本当に、本当に例外的な存在だと思う。

 だから心は「誰にも見せられない自分」をストレートに表現してもいいと思う。
でも、それと同時に、頭にはブレーキの意識を少し残しておくことも絶対に必要なんじゃないでしょうか。

 これは言葉を変えれば、「自分は相手にとってどう映っているか」を常に意識し続けられるか?ということでしょう。
関係が浅いうちは気をつけていられることが、深まるとなぜか出来なくなってしまう。
偉っそうに書いてますが僕だってそうです。だからこそ思い出したような形になってしまっても意識してやっています。

 自分にとって大事な人ほど気をつかえなくなること。ないがしろにしてしまうこと。
親でも親友でもそうだけれど、すごくありがちなことで、すごく悲しいことなんじゃないでしょうか。

 これに対する特効薬はなくて、ホントに気をつけ続けていくことしかないのだけれど。