愛情は自分ごとの拡大

俺は<愛情>とは何かというと分からないんだけど、ひとつ確信していることは<自分ごとの拡大>だと思っている。
本質的に人間は自己中だから自分がいちばん可愛い。自分をいちばん可愛がりたい。自己愛。その対象が他人にまで膨らめば、それは嘘偽りない「愛」のはずで。
たとえば子どもが嫌いだった人が、親になると子どもが最優先になったりするように。

同様に、好きな人が喜んでるときに自分ごとのように嬉しくなること。悲しんでるときに自分ごとのように悲しくなること。
その感情は「愛情」だと思うんです。自分が嬉しいとか悲しいとかと同じレベルでそれを感じられるかどうか。

さっきの”今までと変わらない姿を見せる”というのは、俺なりのやり方で正しい方法とは思っていません。
けれど、<ふたりのトータルの状態としてハッピーでいたい>という思いから来るものなんです。
自分ひとりが楽しい状態でいたいのと同じくらい、彼女とふたりで楽しくいたい。

大切な存在とはなんでしょうか?大切という言葉は「大いに迫る」が語源のようで、転じて「かけがえがない」「本当に愛しているもの」という意味になったようです。
でも、思春期に出会った歌詞の方がしっくりくるようにいまは感じる。

“どうして大切という字は 大きく切ないのかな”

大切な存在は自分にとってものすごく大きな喜びとともに、ときにものすごく切なさを伴うものなんだと実感していく年齢になってきたんだろうと思う。

ブログで「あとがき」やってます

AMでコラムが掲載された数日内に、あとがき・こぼれたエピソード的な記事をブログで書いてます。よろしければ。

Text/桐谷ヨウ(ファーレンハイト)