「不満は彼に伝えないと変わらないよ」がエンパワメントではない理由

テキスト系のSNSで可視化されたもののひとつが「不幸そうな結婚生活を送っている人」だと思っています。「不幸」ではなく「不幸そう」とするのは、LINEで送ってくる話題やツイッターの投稿の内容がパートナーの愚痴ばかりで「うわー、毎日、しんどそう」と思うのですが、実際に会って話すと、金がないと言っているわりには高そうなおニューの服を着ていたりするし、しんどいと常に漏らしているわりには、まつ毛はきちんとエクステがついていてピンと上向きで、頬は血色よく輝いているからです。「夫が本当にありえない」と唇を尖らせていても、その口調に悲壮感はさほどなく「よっぽど気の毒な状況なのだろうか」と覚悟して会ったというのに「カタスカシ~!」と心の中のIKKOが咆哮をあげること度々なのです。

ビジュアルや声といった情報があるなしで、これほどまでに印象が変わってくる……ということはさておいて、不幸度がいくらソフト化されたところで、不幸そうな人が不幸を抱えていることには変わりなく、SNSで愚痴ばかり言っている人は、実際に会っても愚痴ばかりでそこは同じ。そして「直接パートナーに不満を告げて話し合わない限りは、その愚痴は解消しないのでは?」と思いつつも、アドバイスよりも“共感”とやらが必要とされているという謂れに従って「うん、うん、大変だね……」と水飲み鳥のように頷き続けるのは、パートナーに直接、不満を伝えられない人に、そんなことを言っても仕方がないからです。

わたしもかつては不満を言えなかった

今のわたしはわりかし夫になんでも言える関係を築いているけれど、かつては違っていた頃もありました。婚前に付き合っていた相手には、不満を伝えることを諦めていたのです。それはどうしてかというと、例えば何かが嫌であると主張したとして「俺だって嫌なことがある」と焦点をずらして対抗してきたり、「なんでそういうことを言うわけ?」とこちらの寄り添いや優しさが足りないことを指摘されたり、またわかりやすく逆ギレした後に不機嫌になったり、「いま、疲れてるから、後にしてくれない」とうんざりため息をつかれるといった、いわばモラハラな態度を取られているうちに、すっかり言っても無駄だと、諦めてしまったからです。

あの相手と、いま再び対峙したとしたら、どうだろう。やはり何度かは伝えようと試みてはみるものの、結局は折れてしまう気がします。「主張できる人」を「主張できない人」に変えてしまう。それくらい、モラハラのパワーは強い。