自分の要望通りにならないと文句をいう人

さて、そもそもわたしの伝え方、あなたの捉え方に齟齬が生じているようですから、まずはその擦り合わせをしていきましょう。

個人的な考えを言わせていただきますと、わたしは“かまってちゃん”なのは別に悪いことではないと思うのです。
相手が忙しくて疲れていたり体調が芳しくなかったりしているのにも関わらず、それを理解しようとせずに「そんなの知ったこっちゃねぇ!」と言わんばかりに「どうして連絡くれないの」「どうして会ってくれないの」と欲望ばかりを押し付けてしまう自分本位のかまってちゃんは、たしかによくないですよね。

でも、相手にしてほしいこと、今回で言えばかまってほしい気持ちを伝えること自体は、問題ないのではないでしょうか。
相手によっては、パートナーに「会いたいな!」「もっとわたしのことかまって!」とストレートに甘えられるのをうれしいと感じる場合もあるでしょう。
これらのお願いを相手に伝えず、不機嫌な態度をあらわにする察してちゃんはいかがなものかとは思いますけれどね。

中には相手の心情を察する能力に長けていて、あれこれ先回りして期待に応えることに喜びを覚える人であれば、「なんでもかんでも言語化する人はちょっと……ロマンがないぜ……」と察してちゃんのほうが好きな場合もあります。
「え? どうして不機嫌なんだろう……こういう理由? 違う? じゃあこっちかな?」とあれこれやりとりするのをプレイとして楽しむ人が存在するのもたしかです。

まあ、面倒くせぇやりとりしてんなーと、個人的には思いますけどね(笑)。

こういったことを楽しめる趣味嗜好をお持ちのカップルであれば、特に口を挟みたいことはありません。
わたしがいかがなものかと苦言を呈していたのは、なんらかの要望があるのに伝える努力をせずに察してちゃんに徹して、相手に委ねるのを決めたのは自分なのにもかかわらず、結果的に自分の望むかたちにならなかったときに文句を言う人たちに対して。
いや! 言えよ! 言わんとわからんやろうが! と思うわけです。

異なる主張をすり合わせよう、という価値観があるか

性格や態度に問題があったというより、お互いの主張や価値観がすれ違ったときにどうやって落とし所をつけるかという解決の仕方が異なっていたからではないでしょうか。

恋人との付き合い方や恋愛における価値観は、人それぞれ異なりますよね。
たとえば、おはようからおやすみまで一日中常に連絡を取り合っていたい人、用事があるときだけで十分だと考える人。
休みが合う日は必ず一緒に過ごしたい人、たまには自分ひとりで過ごす時間も欲しい人。
疲れているときほど恋人に会うことで癒される人、疲れているときは誰にも会わずにのんびりすることでリフレッシュする人。
これらは、どちらが正しい/間違っている、愛情がある/ないの基準になる話ではなくて、そういう価値観を持っている、というだけなんです。

相手のことはもちろん大好きだけど、そんなに頻繁に連絡を取ったり会ったりしなくていいのにな~と思っている人からしたら、たしかにあなたはかまってちゃんなのかもしれませんが、あなたと似た価値観を持っている人からしてみれば、それは別にかまってちゃんでもなんでもない当たり前のことですし、あなたが彼に不満を抱くこともなかったでしょう。

これについてもよくお話しをしていますが、価値観が全く同じ人というのは存在しなくて、あくまでも似ている・近しいといった表現が適切だと思います。
異なる価値観を持っていたとしても、それが露呈したときに擦り合わせをしようとする価値観を共通して持っているか、というのはとても大事なんです。
お互いの中間地点を模索するにあたって、「よし、じゃあお互いに歩み寄ろう」という人と、「いやいや、そんな面倒くさいことしたくないよ。あなたがこっちに合わせてよ」という人なら埒が明かないですよね。

もし相手が「自分は歩み寄る気はない、そっちが合わせてよ」と頑なな人でも、好きだから付き合っていたい、という考えなら、それはそれでいいと思うのです。
自分を押し殺して相手に合わせることはたしかに褒められたやり方ではないかもしれませんが、他に好きな部分がたくさんあったり、最初は嫌だったけれどだんだん慣れてきて気にならなくなっていったり、相手のやり方に自然と寄っていったり、一緒に過ごすうちに変化が訪れることはあると思います。でも、不満を特に告げずに離れてしまった彼の態度を聞くと、そういう流れにはならなかったのだと感じました。