あの人とセックスがしたい。高まる気持ちを「夏のせい」にしてみよう

夏、それも、真夏が好きだ。日差し、入道雲、台風、夕立。そのどれもが暴力的で、あまりにも勝手で、だから困るのだけれど、でもそれが好きだ。ままならない体、もてあました休暇。何か自分の知らないことが起きるのではないかとワクワクする。

付き合いたいというわけではないけど、とても好きな人がいて、夏のあいだにどうしてもセックスがしたかった。このよくわからない特別な気候は今の関係をひっくりかえすチャンスだし、それでいて、永続的な約束をしなくていいような儚い感じも含んでいるから、最高だ。デートに誘い、夜半、マニキュアを塗る。

高まる気持ちぜんぶ、夏のせいにしちゃえ

性欲ってなんだろう。比較的オープンに性の話をしたり、セックスしたい人には自分からお誘いしたりするからか、「性欲が強い」と思われがちだが、自分ではそうでもないような気がしている。「誰でもいいからヤりたい!」という感じでもないし、しばらくしなくても平気だし、好みの人に誘ってもらっても断ることもある。

というか、自分から男性をセックスに誘うことくらい、当たり前じゃないの? と思う。ふたりのことなのだから、どちらからも誘うことがあるというほうが自然ではないか。「女は誘われてなんぼ」「女から言うのは恥ずかしい」みたいな価値観があるのは分かるけれど、そんなことにとらわれてモタモタしてたら、夏が、人生が、終わってしまう。同じ夏はもう二度と訪れないのだ。

とはいっても、春に一度、わざと終電を逃してみたが、結局モジモジしてしまってうまく誘えず、彼もなぜかモジモジしはじめ、真夜中に変な空気のまま解散してしまったことがあった。分かってはいても、なかなかうまくいかないのが恋だ。すんなりうまくいくようであれば、もうそれは恋とは呼べないかもしれない。そうとらえれば失敗も仕方ないと思える。

「この爪だけ、薄いね」と彼が私の右手の小指の先をさわった。あまり発色しないマニキュアだったから二度塗りしたのだけれど、最後、右小指だけ忘れて一度塗りになっていた。塗り忘れちゃって、と言うと、かわいいね、と言ってくれる。どうでもいいような、ほんの小さなことが、体にふれるきっかけになり、ふたりのあいだに親密さをうみだしていく。海岸でシーグラスを集めるように。そういう小さなキラメキを拾い集めるのが恋愛の醍醐味だろう。

店を出て、急に涼しくなってきた公園で、「好きです」と言ってみる。でも、「好き」だなんて、既に何度も言っているのだ。出し惜しみしても仕方ないから、私は好きだと思ったらわりとすぐに言ってしまう。好きでいるのは自由だし、その気持ちを相手に伝えるのも、まぁ迷惑になることもあるけれど、自由だと思う。基本的に恋愛は迷惑なものだし、どうしたって当たり屋みたいになってしまう。

「セックスしましょう!」と言うかわりに、「夏のせいにしませんか!?」と言ってみたら、「何それ」と笑われたけど、なんとか通じたようで、結局、「そうだな」と承諾された。大人の情事には、時に「○○のせい」が必要だ。言い訳は別になんだっていいだろう。どうしようもなく高まる気持ちぜんぶ、季節や気候のせいにしてしまえ。