わかりあえなければ恋ができない、ではなく、わかりあえないからこそ恋ができる

意味がわからないからこそ、好きになってしまう

by Sarah Wolfe

恋に落ちてしまう瞬間がある。

冒頭から汚い話になるが、昔、酒を飲みすぎて路上で気分が悪くなり、一緒にいた男に「吐きそう!!」と伝えたら、「おお、いいよ」と両手を差し出してきたので、そのなかに吐いた。彼には悪いが、吐きながら、「手が汚れるし、どうせこぼれちゃうし 、道のすみに吐いたほうがマシじゃない?なんで?」と思っていた。すべて、意味がわからない。でもその夜、なんだか彼のことをすごく好きになってしまい、結局その後長く付き合った。

友人たちにその話をすると、たいてい「意味がわからない」と言われるが、そりゃぁ、私だって意味がわからない。その人がなぜ両手を差し出したのかも、そのとき私がなぜ恋に落ちてしまったのかも。「スムーズにエスコートしてくれたから」とか「家事をしてくれるから」とか、そういった意味のわかりやすい理由で恋に落ちることができたら、もうすこしラクな人生だっただろうか。

「でも、ちょっとわかるかも」と言ってくれた友人もいた。「一回きりのつもりでセックスしたら、事後に半勃ちゴムつきのままなぜか腕立て伏せしはじめて……。意味わかんないし、キモいな……とドン引きしたんだけど、なぜか好きになっちゃったことある」とのことだった。彼女はそれが散々な恋愛だったらしく、「もう、セックスのあとは即寝落ちする男が一番。それ以外好きにならないようにしている」と話していた。まぁね、そんなふうに恋に落ちる瞬間を操作できたら苦労しないのだ。

金曜日の仕事終わり、なんだかまっすぐ帰りたくないなと思ったら、大きな本屋に寄って、詩集を一冊買うことにしている。内容はなんでもいいし、読んでみてもたいてい何の話をしているのかよくわからない。でも、心地いい。うまく説明できないけど、だからこそ、響きがおもしろい。なんとなくエッチな気分になったりもする。美術館で絵をみるときも、洋画を字幕なしでみるときも、似たような楽しみがある。

私にとっての恋は、そういうものなのだと思う。意味がわからなくて、言葉であらわせなくて、だからこそ、面白くて、もっと見たい、もっとふれたいと願う。言葉以前の、キラキラひかる感覚のようなものを、追いかけるように、突っ込んでいく。詩を読むように恋をする。そんな感じだからいつも「恋愛スピード狂」になってしまうのだ。

「なんであのとき両手を出したの?」と彼に尋ねたのは付き合い始めてずいぶん経ってからだったが、あっさりと「そうだっけ?わからん」と言われて終わった。本人ですら意味のわからない行動に惚れてしまった私はバカなのかもしれない。

彼と付き合っているあいだ、意味のわからないことがたくさん起きたが、もう詳細にその意味を理解しようという気は起きなかった。「そういう人なんだな」「私では思いつかないことをするから面白いな」と思うので、何があっても、ケンカにすらならなかった。

いくら恋人であっても、いくら長く一緒にいても、相手は自分とまったく違う人間で、完全に理解することはできない。好きな人と一体になりたいと祈るように恋をするなかで、これ以上に悲しいことはないが、これ以上に優しいこともない。相手がたしかに他人だと観念するからこそ、その行動を尊重できる。私のように「意味がわからなくて好き!」からはじまった恋愛の場合、付き合っても相手の意味のわからなさにあまり動じないから、尊重しあう恋愛になりやすいかもしれない。

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