恋愛は「幸せになる」だけではない。大好きな人を思うままに大好きで

恋愛と幸せは対極にある

by Kelli McClintock

「あの子は幸せだから」「私も幸せになりたい!」

女子会などに行くとしばしばそんな言葉が聞こえてくる。幸せ、ねえ。この文脈における「幸せ」とはつまり、恋人ができることや結婚することを意味する。なるほど、好きな人に好きだと言ってもらうこと、永遠の愛を誓いあうこと、ともに生きていこうとすることは、たしかに幸せなことかもしれない。でも、いつもなんとなく、しっくりこないのだ。

私にとって恋とは、好きな男につい恥ずかしいLINEを送ってしまって返信が来ないまま明かす夜のことである。あるいは、ラブホテルを出る間近になってどうしてももう一度したくなるキスのことだ。無性に首筋にキスマークをつけたくなる脳の沸騰でもあるし、つけられそうになったときにスッと身をよじる寂しさでもあるかもしれない。とにかく全然「幸せ」という感じではない。

そういえばこのまえ、知人の男性に深夜の焼き鳥屋で「本当の恋をしろ」と言われた。本当とか嘘とかくそくらえだし、恋は他人に強制されてするもんでもないだろと思うが、深夜の焼き鳥屋なのでそこは咎めなかった。彼の言いたいことは要するに「ものすごく大好きな人を思うままに大好きでいろ」ということらしかった。「でもそれって、幸せなことではないですよね」と私が言うと「そうだな」と彼は言った。「じゃあ、なんで、しろって言うんですか」「そのほうが、人生おもしろいだろ」「まあ、そうかもしれないですね」そう同意した我々は冷めたきったレバーを食べた。

「ものすごく大好きな人」と言われて思い出すのはどうしても、かつての同級生の男の子だ。私は愚直にその人のことを思うままに大好きでいた。5年くらいは大好きだったと思う。声が聞こえてくるだけで鼻の奥がツンとした。メールを送るたび携帯電話を投げ捨てたくなった。私の熱烈アプローチが伝わって、彼も私のことを好きになってくれたし、なんと告白までしてくれて付き合うことになったのだが、交際してもなお幸せではなかった。動揺が増して、毎日がしんどかった。

彼と初めてセックスをしたときのこと。相手は何年も思い続けた「ものすごく大好きな人」なのに、なんだか終始悲しかった。心臓は鳴りあうし性器は反応しあうが、それでも私は彼そのものになれない。抱かれる女でいるよりも彼の尖った八重歯でいられたらどんなに良いかと思った。その人の一部になりたいけどなれないし、快感が永遠であってほしいけど永遠には続かないし、セックスというものはけっきょくは恋愛の不可能さに喘ぐ行為なのではないかと思う。

ちなみに私のなかでの幸せとは、コタツでミカンを食べたり、何も予定のない日曜日に二度寝したり、夕方のガラ空き電車で車窓を眺めてぼんやりしたり、そういう日当たりのいい退屈のようなものである。時間が過ぎ去っていく感覚が希薄で、感情の波が少なくて、うずまく欲望とは無縁な時間にいるときに「ああ、幸せだな」と思う。対して恋愛とは私にとって、時間が過ぎ去っていく寂しさにかられながら、感情の荒波とうずまく欲望に身を絡めとられるような体験である。そう考えるとやっぱり、幸せと恋愛は対極にあるように思えるのだ。

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