大人は大人らしく、恋に狂い続ければいい。そのための2つの要素

恋に狂い続ける才能

by Omid Armin

美人でモテモテの友人を羨ましがっていたら、「いや、あんたも、ずっと何かしら恋愛しててすごいよ。私にはできないもん」とあきれ気味に言われた。たしかに私は、特にモテたことはないが、生まれたころからいつも途切れず好きな人がいる。はぁ、こんなに恋に振り回される人生、疲れるわ、、、という感じだし、他人に自慢しようとは思わないが、ポジティブに考えれば、これはこれで一種の才能なのかもしれない。

そういえば、小学生のころ、クラスに常にどこかしら骨折している男の子がいた。右手首を折ったかと思えば、治ったころに左足を折ったり、腕に包帯をしながら松葉杖をついていたり。人生で大きなけがをしたことがなく、包帯すら巻いたことのない私から見れば、すごいな、才能だなと思う。私には想像もできないくらい高いところに登ってみたり、重いものを持ってみたり、ケガを恐れないガッツがあるのではないか。

ある意味、恋愛ばかりしている私と、骨折ばかりしている小学生男子は似ている。私は肉体的に骨を折ったことはないが、恋愛においては複雑骨折を繰り返してきた。いつもどこかしらが痛い。すべてが恥ずかしい。毎度、死ぬかと思う。でもまたやってしまう。バカだと言ってしまえばそれまでだけど、でも、バカになれるって、ちょっとすごくない?

そんな私でも、大人になってからマジで恋愛するのって、なかなか難しいなと思う。考えてみれば当たり前のことで、当時骨折ばかりしていた男子だって今ではさすがにケガも少なくなっているはずなのだ。何度も骨を折ったら、「こうすると痛いんだな」と少しは学ぶ。体も無茶がきかなくなってくる。他人に心配されるのが面倒くさくなってくる。大人になるということはきっとそういうことで、だからまぁ、楽になるけど、つまんないものだ。

「恋愛というものは常に一時の幻影で、必ず亡び、さめるものだ、ということを知っている大人の心は不幸なものだ」と坂口安吾は『恋愛論』で言った。たしかに10代のころは付き合った翌日には「ずっと一緒にいよう」「結婚しようね」「100歳になっても好き」などと真剣に言いあっていたものだが、その後3か月で別れを繰り返せば、さすがに思うところもある。結婚とか加齢とかも、あのころ抱いていたあいまいでやわらかいイメージから、あまりにリアルなものへと差し迫ってきてしまった。

でもだからって、年収がどうとか、身長がどうとか、そういうスペックだけで相手を選ぶような、つまんない恋愛もどきをやっていくわけ? それとももうマジの恋なんかできないの? と思うと、それはそれで嫌だ。バカだと言われても、お花畑と言われても、恋をするのは楽しいし、おばあちゃんになっても私は一張羅を着てデートに出かけたい。永遠を夢みて、このまま死んでもいいからと祈って、来世の約束をしたい。

恋に狂い続ける才能というものがあるとして、それには2つの要素があると思う。1つ目は、過去に学ばないこと。2つ目に、感覚を信じること。

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