「あなたの三番目の女にしてよ」という距離感の尊さ

目の前にいる人のことしか考えられないのだから

「3番目の女でいいから、付き合ってよ」とお願いしたことが、何度かある。たいてい、「何それ?」と笑われ、それから、「おれ、そんなに器用じゃないよ」と断られたり、「いいよ~」と軽く言われたり、「3番目と言わず1番になってよ」と逆告白(?)されたり、返事はまちまちだが、なんとなくその場では何も約束せずに終わる。でもそれでいい。3番目」というのは、お互い、きちんとした約束をしない関係ということだと思うから。

かつて歴史の授業で「一夫多妻制」を習ったとき、「なんて(権力ある)男に都合のいい制度なんだろう」と感心すると同時に、「私はできたら正妻よりも側妻になりたいなぁ」と妄想した。いい男がたまにふらっとやってきて帰っていく、男側にとっても都合がいいだろうが、私も案外それくらいの距離感が都合がいいかもしれない。「かっこよかったなぁ」「そろそろ会いたいなぁ」とぼんやりしながら情事を思い出し和歌でも詠むくらいが私には合っているだろうと、まだろくに恋愛経験もないころから思っていたのだった。

「誰かの1番になりたい」と全く思わないわけではないが、「じゃあそもそも1番とか2番とかって何なんだろう?」と考えると、あまりピンとこないのが正直なところだ。私自身、好きな人やセックスする人が同時並行で複数いたことがあるが、その中で誰が1番好きだとか本命だとかなんて考えたことはない。どうせその人に会っているときはその人のことしか考えられないのだから、順番をつけること自体、意味がないように思えてしまう。

一般的に、本命や1番というのは、一緒に過ごす時間が多い人や一緒に暮らす人のことを指すと思うが、それは好きな人のなかでも自分にとって「一緒に暮らすのに向いている人」「一緒に暮らしたくはないがたまに会うと最高な人」などの種類がある、というだけのことではないだろうか。

そんな思いもあって、あまり順番に固執してはいないのだが、「あなたと一緒に生活するつもりはないですよ」「他に性的な交遊関係があってもいいですよ」という意味をこめて、「3番目の女でいいから~」と口説いている。実際、「なんとしても3番目がいい!」というわけではないが、経験上2番目だと1番目のパートナーの愚痴を言われたりだとか過度に癒しを求められたりだとか面倒が発生することが多いし、7番目や8番目になってくるとなかなか会えなさそうだし、そもそもそんなに多くの恋人を抱えるような人とうまくやれるか分からないので、なんとなく「3番目の女」に落ち着く。