「自分一人で生きることにそこそこの充足を感じている独身女性」から見える意外な景色

例外がいくらでもあることを承知の上であえて言うと、女性が「結婚」にいちばん悩むのって、27〜32歳くらいなんだろうという気がしている。本気で「結婚したい」と思っている女性であれば、33歳までにメンヘラだろうがセカンド女子にしかなれなかろうが不倫経験があろうが自己肯定感が低かろうが、どうにか機会とタイミングと良きパートナーを見つけて結婚している。33歳を過ぎて結婚しないでいるのは、だいたい私のような「実は結婚をあまり望んでおらず、自分一人で生きることにそこそこの充足を感じている女性」だ。

なので、もしこれを読んでいるあなたが33歳未満なら、少し安心してほしい。あなたが本気なら今どんな恋愛をしていたってたぶん33歳までには結婚できるし、結婚できなかったとしても、中年のあなたはそこまで惨めな感じにはなっていない。あなたがもしこの例に当てはまらず「いやいや、本気で結婚したいと思って婚活もすごく頑張ったのに33歳過ぎても独身なんですけど!?」というタイプだったとしても、たぶんちょっと運が悪かっただけなので、あまり自分の欠点探しに躍起にならないでほしいな、と思う。運とかタイミングとか巡り合わせって本当にある。私自身、それに恵まれたこともあったし、見放されたこともあった。だいたいの人はどちらも経験しているものだ。

今回は、そんな「結婚をあまり望んでおらず、自分一人で生きることにそこそこの充足を感じている独身女性」である30代半ばの私からどんな景色が見えるかを、ヴァージニア・ウルフの小説『灯台へ』 ( 河出書房新社,池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 2-1)の話を交えながら語らせてもらおうと思う。今まさに同じ境遇にいる女性にも、「もしかしたら将来そうなるかも」と不安を感じている若い女性にも、「ヘぇ〜」と思って読んでもらえたら嬉しい。

独身は独身だけでつるんでいる? 答えはNO

まず、ヴァージニア・ウルフの『灯台へ』には、ストーリーらしいストーリーがない。物語は三部から構成されており、第一部では、ラムジー夫妻とその家族と同僚が別荘にて「明日灯台へ行こうか」と話をしているだけだ。第二部では、その日から十年の時が経ち、ラムジー夫人を含む何人かの家族が戦争でこの世を去る。そして第三部では、生き残った家族が再び別荘に集まり、灯台へ行く。それだけといえば、それだけの話である。

『灯台へ』で印象的なのは、結婚こそ女性の幸せという伝統的な価値観を持つラムジー夫人と、同僚であるリリー=ブリスコーの対比かもしれない。ラムジー夫人に対して画家のリリーは、「わたしは独りでいるのが好きなんです。自分らしくありたいんです。結婚にはむいてないんです(p.65)」と訴える。もちろん、そんなリリーの訴えはラムジー夫人に通じない。だけど『灯台へ』は、伝統的な価値観を持つラムジー夫人も、自分独自の価値観を持つリリーも、どちらも否定せず、ただ十年という時が流れる。

人間はどうしても、「今」を永遠と思いがちだ。今仲良くなれないのなら永遠に仲良くなれないし、今わかりあえないのなら永遠にわかりあえない。今キャリアを積むのに忙しい女性と、今子育てに忙しい女性は話が合わない。「今」は、まあそうかもしれない。でも、十年経つとまた状況が変わったりする。

私は二次創作用に作っているツイッターアカウントで、子供が中高生になったアラフォー・アラフィフのお母さんたちとけっこう楽しく交流している。こんな経験をすると、「今」は距離ができてしまったようにも感じる同世代の女性とも、十年経てば彼女たちの子供からも手が離れて、また遊びに行ったりできるんだろうなと希望が持てる。いろいろな人がいるだろうが、必ずしも独身は独身同士で酒を飲みながら愚痴を言い合っている……というわけでもない。好きなことさえあれば、人間関係はそれほど閉じたものにはならないと思う。

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