私たちを救うのはお金でも恋人でもなく、「気まぐれ」という美しさかもしれない

by Josh Blanton

隔週で私が行っているこの『女の人生をナナメから考えるブックガイド』という連載、そもそも何を目指しているのかというと、生涯にわたって結婚や出産を経験しない女性でも、自己肯定感を失わなずにそれなりに楽しく生きられる方法を考え、読んでくれる方々と共有したい……というあたりをゴールとして設定している。もちろん、それが回り回って、結婚や出産を経験する女性や、あるいは男性にとっても何かしらのヒントになるといいなと思ったりもしている。

そうしたコンセプトで始めたので、本を紹介するときは、女性作家によって書かれたものを選ぶことが多い。ただし選び方によっては、「エンパワメント」「シスターフッド」「フェミニズム」あたりのキーワードをもとに毎週本を読んでいると少し疲れてしまうというか、世の中のままならないことに目が行きすぎて、逆に閉鎖的な気分になってくるというか。

ままならないことはままならないことできちんと文句を言っていくべきだし、そこから目を逸らすつもりもないのだけど、世の中が「マイノリティの権利」を主張するとき、そこに金のない独身である私は含まれていないような気分になるときが、実はある。ようするに、高収入のゲイのパワーカップルとか、結婚して子供もいて収入もある夫婦(の妻のほう)とかしか含んでいないのではないか? と、勘ぐってしまう瞬間があるのだ。

この問題については追々じっくり考えさせてもらうとして、そういうわけで、いわゆる「女性をエンパワメントする本」だけが、「生涯にわたって結婚や出産を経験しない女性」を勇気づけてくれるわけではない、と私は思っている。ちょっと変な入り方をしてしまったけどそんな感じで、今回紹介したいのは三島由紀夫のSF小説『美しい星』だ。

人類は滅亡すべきか否か

リリー・フランキー主演で映画化したこともある『美しい星』は、ある日突然、一家が自分たちを他の星から来た宇宙人であると思い出して覚醒し、核兵器から人類を救う使命を担うというSF小説である(映画では、リリー・フランキーがこの一家の父親役)。三島由紀夫にSFのイメージはあまりないと思うし、大学生のとき『春の雪』にハマりまくって今でも『豊饒の海』シリーズが大好きな私も、実は最近までこの作品の存在を見逃していた。

まずは、SFとはいえ三島由紀夫なので、細部の描写がとても美しい。一家が空飛ぶ円盤を待ち受けている最初の場面とか、一家の長女である暁子が一人旅をするために特急に乗り、車窓から広野を見ている場面とか。しかし、人類を救うために様々な行動に出る一家にも、途中で邪魔が入る。地球で衆議院議員・助教授・銀行員・床屋などとして働く彼らもまた宇宙人で、こちらは人類の滅亡を願っている。一家の父である重一郎と助教授が交わす「人類は滅亡すべきか否か」の論争は、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』に登場する「大審問官」のシーンと、よく比較されているらしい。

論争はどのように展開するかというと、かなりざっくり要約すると、「理性」で考えたら人類は滅亡したほうがいいに決まっている。しかし、父・重一郎はそれに対して、人間は「気まぐれ」を起こすものであり、その「気まぐれ」を根拠に、人類を擁護するのだ。