「愛されることで価値が決まる」ではないと気づいた瞬間、わたしたちは解放される/葭本未織

コンプレックスが溶けていく瞬間

皆さん、ダンスは好きですか?
「踊ってみた」が市民権を得て、TikTokがその年のヒットチャートを決める重要な役割を果たし、小・中学校の体育でダンスが必修化してひさしい昨今ですが、何を隠そう、わたしにはダンスコンプレックスがある。それも並々ならぬコンプレックスである。

わたしは3歳からダンスをはじめた。18歳で縁が切れるまで断続的ではあるが15年ほど関わり続けた。だが正直、辞めた当日のわたしより、その日はじめた初心者の方が上手だろうという習得具合であった。これは謙遜ではない。そもそもわたしは振り付けが覚えられないのだ。一般的に振り覚えがいい人は、動いている人間のする動作がひとつひとつポーズのように止まって見える。だから瞬時に振り付けを覚えられるのだが、わたしはと言うと乱視気味なのも相まって、人の体が動いているときには形の定まらない流動体にしか見えない。子ども時代のわたしはレッスン室でダンス講師がいったい何をしているのか、ちっともわからなかったのだ。

セリフを覚えてこない役者が演出家に怒鳴られるように、振り付けを覚えてこない踊り手だったわたしは、15年間踊るというより、ダンス講師に怒られたり呆れられたりすることに一定の時間を使っていた。当然ながらそういう環境にいると心は鬱屈する。みんなができることを自分はできない、自分は劣っている、という自己イメージに苛まれる。
結果、恐ろしいまでのダンスコンプレックスが爆誕した。

絵本の中のキャラクターが踊れば泣き、電車の中でバレエモチーフのマスコットをつけている女子学生を見ては泣き、「踊るように自由に」という文章表現を見ただけで泣いた。自分が死ぬほど努力しても手に入らないものをやすやすと手に入れて使いこなして楽しんでいる人たちがうらやましかった。そしてなにより、自分をみすぼらしく情けない気持ちにさせるダンスというものが、憎かった。

こんなふうに思う自分が嫌だから、高校卒業とともにダンスときっぱり縁を切った。だというのにここにきて、ダンスはまたわたしの目の前に立ちはだかった。ひょんなことから、ダンスイベントの開催に携わることになったのである!

2020年・秋の終わり頃、わたしは都内のダンススタジオにいた。『ブレイクザチェーン』というダンスの振り付けを習うためだ。このダンスは、映画『マッドマックス 怒りのデス・ロード』のコンサルタントをつとめたアメリカの劇作家・イヴ・エンスラーが「女性に架せられたさまざまな鎖を解き放とう」と呼び掛けてはじまったもので、世界各国で踊り継がれている。

「日本でもブレイクザチェーンダンスをひろめたいんです」とアクティビストの石川優実さんに言われたとき、賛同する想いと、「ダンスですか~……」という想いが一挙に浮かんだ。子どもの頃ダンスで感じたみじめさは、年月が経ってもぬぐいきれなかったのだ。アンビバレントな気持ちのまま、石川さんのレッスン風景を撮影する、という名目で教室に同行した。

彼女を撮っていたら、ダンス講師の岡田先生にこう言われた。
「葭本さんも踊りませんか?」
わたしは即座に返した。
「わたし、踊りたくないんです。子どもの頃、ダンスを習ってたんですが、あまりに踊れなくて、怒られてばっかりで。でも親にやめたいって言えなくて。だから今も踊るとなると体がこわばって、頭がパニックになってしまうんです」

ものすごい早口だったように思う。この言葉は事前に準備したものだった。レッスンを見学してたらきっと良かれと思って参加をうながされるに違いない、そのときに端的に自分の状況が言えるように、と。準備は功を奏した。しかし、ダンス講師というのはダンスが好きだからダンスを教えている生き物である。だからこそ、これまで出会った数々のダンス講師は踊れない人間の気持ちを汲もうとはしてくれなかった。先生はいい人そうだけど、きっと無邪気にもう何度か誘ってくるに違いない。そう思い身をこわばらせていたら、彼女はこう言った。

「そうかあ……ひどいね、本当は楽しいものなのにね、そう感じる心を奪われたってことでしょう」そして「じゃあ石川さんもう一回やりましょうか」と、レッスンに戻っていった。

わたしはじんわりと心がほぐれていくのを感じた。そしてもう「ダンスというみんなできて当然のことができない自分は、劣っていて恥ずかしい」とは思わなくなっていた。