すべての出会いは、解放の瞬間のためのトライアンドエラー

手に入れたいものを、努力しても努力しても手に入れられないとき、わたしたちはそのもの自体を憎悪するようになる。けれどなぜ憎悪するのだろう? それはおそらくそのものを「手に入れて当然だ」と思っているからだ。そしてこの「当然」という感覚は傲慢からではなく、強迫観念から生まれる。

わたしたち生きている中でいろんな教育を受ける。それは親や教師からかもしれないし、まわりを取り囲むメディアや、経験則から来ることもある。何が美徳で、何があるべき姿なのか。学ばされたわたしたちは、その通りになろうと無意識のうちに努力する。その努力がむくわれないとき、劣等感が生まれる。劣等感とは「こんなこともできないなんて恥ずかしい」と自分を責める気持ちである。自責というのは刃物のようなもので、繰り返すと身心が死ぬ。それを避けるために心は、憎悪という別の感情を刺激するのだ。憎悪がムクムクと大きくなり暴れ出しているあいだは、「当然のことをできない自分」を見つめなくていいから。

恋愛でも同じことが言える。なかなか振り向いてくれない相手を追いかけ続けているうちに憎くなってくるのも同じ心のメカニズムだ。愛されたい人に愛されない時、自分の存在が無価値で無意味に思えるのは、そもそも世の中に「女の子は愛されて当然、愛されることで価値が決まる」といった広告や物語があふれかえっているからだ。知らず知らずのうちにわたしたちは影響され、愛されない自分は当然のこともできない恥ずかしい存在だ、と感じるようになる。そして劣等感が心を守ろうと憎悪を刺激して、時には相手が逃げるぐらいの攻撃性を見せてしまう。

ひとりぼっちになり、ついた傷をどう癒すかというという段にいたっても、これまたあふれかえる「すべての傷は恋人が癒してくれる」といった物語が無意識に影響を与えてくる。違う相手を見つけ愛されようとするのだが、うまくいかない。やっぱり自分は当然のことができない、と落ち込む。誰しもが経験のある悪循環だろう。

しかし、その「当然」というのは果たして本当に「当然」だろうか。わたしたちは問いかけなければならない。それは自分以外の人間がテキトーにでっちあげたありもしない幻影ではないだろうか。「当然」に当てはまらなかったとしても、何も自分を責めること無い。君の基準は君にしか創れない。そして基準は君を苦しめるためにあるのではない。苦しめられているとするなら、その基準が歪んでいないか再確認する必要がある。

思うに、「当然」が「当然じゃなかった」と気がついた時はじめて、人との出会いが解放へとつながる。

たしかに、トラウマを植え付けた人間とよく似ているがまったく別の人間に出会うことは、一番てっとりばやく心を癒す方法だ。わたしは幸運だった。ダンス講師の植え付けたトラウマを、別のダンス講師によって解いてもらった。だけどわたしがダンスコンプレックスから解放されたのは、やさしいダンス講師に出会えたからではない。「踊れないことは恥ずかしいことじゃない」と自分で気がついたからだ。わたしが気づかなければ、同じことを言われてもおそらく響かなかったろう。同じように、恋人と名づけられた関係性の人間すべてが、過去の傷を癒せたり、自信を持たせたしてくれるわけじゃない。それらはすべて、自分の手で成し遂げられるものなのだ。

ある日、ある時、自分の準備がいつのまにか整っていて、なにげない人との出会いで、過去が清算される。そういう瞬間に巡り合うためには、やっぱりたくさんの人と出会うしかない。すべての出会いは、解放の瞬間のためのトライアンドエラーなのである。

そして出会いのために、芸術がある。芸術ができることは排除ではなく許容だ。人と人とをつなぐためにあるのだ。そのことを肝に銘じて、不安定な時期ではあるが安全に楽しく、約一年半ぶりの公演を観客に届けたい。

観客席のなかには、きっと子どもの頃の自分がいる。その子と目が合ったら、言ってやりたい。ダンスが下手でも怖くても、いつかみんなと一緒に楽しいダンスを創ることはできるんだよ、と。

お知らせ

葭本未織が、 アクティヴィストの石川優実さん・ NPO法人青い空ー子ども・人権・非暴力さん と、ダンスイベントを開催します。

『バレンタインにみんなで踊ろうブレイクザチェーン』
ダンスを通して、女性への暴力に負けないことをお祝いするイベントです。

2月6日(土)15:45~16:45
無料レッスンをオンライン配信!
どなたでもお気軽にご覧ください。
詳しくはこちらをご覧ください。

共催:豊島区
後援:NPO法人としまNPO推進協議会

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Text/葭本未織