処世術としての「親しみやすい人」

毎朝会社に行くための準備をして、満員電車に乗って、職場で8時間とか9時間くらいを過ごして、それから友達と飲みに行ったり映画を見たりして、家に帰って寝る。当たり前に過ごしていた生活のなかで、私を疲れさせているのは、たぶん私自身だ。もちろん、満員電車や毎日の支度に時間がかかってしまうというのもあるが、やっぱり私は自分で思っているよりも明るくて、情熱を持っていて、陽気な人間ではなかったのだと思う。それなのに、さも当たり前のように誰からも楽観的な人に見られるように振る舞い、そして精神を擦り切らせ、疲れさせていた。

人前で明るく振る舞うこと、陽気な人柄であること、常に笑顔でいて、悩みや後悔が何もないような佇まいでい続けること。それは、私がたくさんの人に囲まれながら生きていく上での処世術だと思っていた。人と会うときは化粧をし、きちんとした服を着る。それと同じで、ちゃんと自分が思い描いた理想の「親しみやすい人」を演じ続けなければならないのだと思っていた。

でもそれは、本当に正しいことだったのだろうか。だから私は、上っ面だけで、人と親しい関係になることができないんじゃないだろうか。今、誰にも会わない生活をしてみて自分のすっきりした気持ちを含めて考えてみると、なんとなく正しくはなかった気はするのだが、一体どうすればいいのか、わからなくなってくる。

何週間後、何カ月後に普通の生活に戻った時、それでも私は明るくて、情熱を持っていて、陽気な人間であるような、偽物の人格を再び身にまとってしまうんだろうな、と思う。いまさら素の自分であるとか気を遣わないでいい関係というのがわからないから。

出来上がってしまった人間関係のなかで、軌道を正しくしていくのも難しい。元々頑固で、あまのじゃくで偏屈な性格をしている私は、こんなところでまで意地を張ってしまうのだ。

Text/あたそ

あたそさんの新刊書籍が発売中!

新刊『孤独も板につきまして』は、大和出版より発売中です。