どうでもいい話ができるのは、信頼や愛情の証

彼女とは大学とバイト先が同じで、一緒に旅行したこともあるような仲で、互いに過ごす時間もそれなりに長かったように思う。しかし、大学には共通の知り合いはほとんどいない。それは私に友達を作る気がさらさらなかったのと、不自然に話しかけられるのが嫌いだったからというのもある。そのためなのか、私の席は彼女の幼馴染のいる割と重要そうなテーブルに用意されていた。

テーブルには見知らぬ人が3人もいる。けれど、彼女の口から何度も名前を聞いたことがある人達だった。お互いに初対面なのに、なんとなくの性格は知っている。それは、彼女が私にしていた大したことのない日常的な話を、同じように色々な人にしていたからなんだと思う。なんとも不思議な感じがしながらも、気まずい雰囲気になることもなく2時間を過ごすことができた。初めて会うはずの彼女の母親も私のことを知っていて、「どうせ私のクソみたいな話もたくさんしているんだろうな」と思ったりもした。ちなみに、「これからもよろしくお願いいたします」と丁寧に頭を下げていただいたとき、なぜかこの日一番泣きそうになった。

なんで、私にこの話をするのだろう。いつもそう思っていた。でも思い返してみると、どうでもいい話ができるということは、一種の信頼や愛情の証なんだろう。極端かもしれないが、「こんな話をして、嫌われたらどうしよう」「つまらないと思われて、見限られたらどうしよう」という考えが少しでもあったとしたら、自分の身の回りで起こったオチのない話なんてできない。見返りを求めない。ただ聞いて欲しい。なんとなく誰かに話したい。その純粋な欲求だけで会話ができる相手というのは、大人になればなるほど少なくなっていくような気がする。

彼女にはそのどうでもいい話が思う存分にできる家族や幼馴染、中学からの部活の友達、高校の友達、同僚に上司、それから旦那さんもいたりして、そのひとつひとつの関係が、彼女のマメで几帳面な性格から成り立っているのだと思った。その結果として出来上がった今回の結婚式では、(当然ではあるが)各人が目いっぱい祝福をし、幸福感に満ち溢れていた。ああ、彼女は色々な人との関係を大切にしながら、愛されて生きてきた人だったんだな、と改めて気づかされた式だった。そのなかに私とのつながりもあって、かなり大切なところに席も用意されたりもしていて、じわじわと喜びや慈しみの気持ちがこみ上げてくる。

改めて、いい結婚式だったなと思う。私自身も、思っている以上に彼女から大切にされているのだと気付かされたから。こういう場にきちんと出席できて、心から光栄に思う。

Text/あたそ

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