嫌いだった「女扱い」から解放されたコロナ禍。この数カ月間で気づいたこと

無心にこなしていたこと

女らしさに悩む StockSnap

私の勤める会社でも、遂に出社がはじまってしまった。

とは言え、落ち着くまでは週2勤務で、コロナが落ち着いたあとも決まった日以外、在宅でも出社でも、どちらでもいいという形を取るそうなのですが。

快適なおうち時間を過ごしてみると、よく週5日も出勤していたなと思う。まず、満員電車。約1時間かかる通勤時間や、隣の席の人がコーヒーカップを置く「ドン!」という大きな音にいちいち驚かされることも、嫌いな部長の笑い声が聞こえてくるのも割とストレスだったのだろう。案外人に気を遣う性格で、明るい自分を保たなきゃいけないのも結構しんどかった。朝早く起きるのとか、お弁当作るとか、つまんねー話に付き合うとか、人の愚痴や不満を聞くとか、当たり前のように毎日無心で行っていたアレコレをいざ辞めてみると、思っていた以上に心身ともに負荷がかかっていたのだな、と気が付く。

それから、きちんとした「女性」という枠組みにはめられることがなによりも嫌だった。例えば、化粧や服装もそうだし、髪をセットしなければならないとか、家事ができた方がいいとか、子どもや動物を好きでいるべきという考え方、結婚や出産はするべきという幸福論の押し付けも、30歳を超えて結婚できない女は変わっているという価値観もうんざりだ。

さらに言えば、「都合のいい女」として扱われるのにほとほと疲れてしまった。私は男性に相手にされない、恋愛対象として認識すらされないタイプの女なのだが、だからこそ男の人が寄ってくる。それで私が幸福だと思えればよかったのに、そういう訳もなく、暇つぶしや話し相手にしちゃ面倒臭くなさそうと、まったく私に興味のないようなしょうもない既婚者や視野の狭い男が寄ってくる。まあ、事実はどうかは別にしても、ガサツで人に執着しない性格なので、ちょうどいいんでしょうね。

こういう尊厳のない、無意味な女扱いはうんざりで、会社に行き人と会うようになって徐々に日常を取り戻すと、再び「男の気配がまったくしないし、いけるんじゃね?」という雰囲気を醸し出しながら、アリか?ナシか?を逐一見定められるようになってしまうのかなと思うと、心の底辺りがきゅっと握られるような気持ちになる。もちろん全員が全員そういうわけではないけれど、「彼氏を作ればいいんじゃないの?」と毎度のように言われてもそううまくいくものでもなく、この微妙にしんどい状況に顔をひきつらせながらやり過ごすしかないのだ。