死ぬまでワクワクしていたい。欲望のままに。

大人になると、子どもの頃に比べるて初めて経験することがなくなり、徐々に色々なことに慣れてくる。そうすると、楽しいことやドキドキする機会もなくなってしまうらしい。身に覚えがあるし、なんとなくその感覚もわかる。いろんなことが当たり前になってきて、やり方・かわし方が身についてくるから。それは決して悪いことではないのだけれど、たまに退屈に思えてきたり、とてもさみしいことに感じられたりする。
でも、今回のこの馬鹿げた旅行は私にとって、たとえるなら、家族で車を使ってディズニーランドに行くとか、小学生のときに初めて東京に行ってテレビで見たことのある憧れの場所に行くとか。それくらい純粋な経験に等しかった。

楽しみにしていたライブや旅行、友達との飲み会の前でも必ず「行くに嫌だなあ」とか「家にいたいなあ」と毎回思ってしまうほど面倒臭がりなのに、そんなこと一切思わず、ポジティブな気持ちを常に持ちながら、現地に向かうことができた。
足を一歩踏み出す度に、なんだか楽しくなる。この国や街が私の好きなものを少しずつ作っていて、その中にほんの一瞬でもいられることがうれしい。吸っている空気すら違っているような気がする。かなり大げさなのはわかっているけれど。

こんな風に、自分の楽しみや生活していくための活力はどこにでも転がっていて、お金と時間と少しの度胸があれば、いくらでも手に入れられるんだと思う。何歳になろうが、子どもの頃からどんなに変わり果てようが、自分を奮い立たせる経験は、きっと他にもいくらだってある。
そして何より、お金と時間に糸目をつけずにこれだけ夢中になって自分を満たしていける馬鹿げた経験ができることはなんて幸せなのだろう! と、心から思う。
航空券や現地で使ったお金を含んだ旅費は馬鹿にならない。でも、私が得た経験には金額はつけられないし、きっと敵わない。

もう私もいい年齢に差し掛かっていて、落ち着いた生活をしたり色々なことに妥協したりしなければいけないのかもしれないけど、本音を言えば死ぬまでワクワクしていたいし自分の欲望を満たすためにずっと馬鹿みたいなことばかりしていたい。そう思うと大人になることも全然悪くない。いつだって自分の好きなことができる。
今年はまだ始まったばかりだし、私にだってまだまだ色々な可能性があるはず。きっと。そう信じている。これからどんなことができるんだろう?

とりあえず、海外遠征へのハードルが自分のなかでグッと低くなったので、またどこかに行こうかな、と考え中。次は韓国かタイまで足を伸ばそうかな……。

Text/あたそ