同じ体験をしたから得られる貴重な共通点

これで「まあ、色々あったけど、お互い気を遣わない仲なことが確認できたよね」となればよかったのだけれど、そうでもなかった。行動を制限されるのなら、1人でもいいという結論に至った。
社会人になってから休みがなかなか合わないことやTHE☆観光地な国を避けて僻地にばかり足を運んでいることも手伝ってか、本当に1人で出かけていることがほとんどになったし、誘われることもなくなった。たぶん、誘われても行かないだろう。

お金を払って誰かとどこかに出かけるのは、思い出を共有したいからなのだと思う。
イライラしてしまったときもある。けれど、一緒に旅行をした人と会って食事をすると、たいてい「あの国が楽しかったよね」「あのとき、こうだったよね」という思い出話に華が咲く。この手の話は、趣味や考えが同じ人でもきっと体験することはない。同じ時間に同じ場所にいて、同じ経験をしたかなり少数の人にだけ通じる、私たちの貴重な共通点なのだろうと思う。
誰かと一緒に出かけることによって得られる思い出があるのと同時に、自分ひとりの力で行動することによって得られる経験もある。私が今得られるは後者だ。
けれど、もし私に行動を共にすることが苦にならない人が今後現れたとして、私が見てきたもの、感じたものを共有できたとしたら、それは素晴らしいことで、かけがえのない存在はこんな風に作られていくのかな、とも思う。

Text/あたそ

次回は<女の先輩からの微妙なマウンティング…どうしたら気にならなくなるか? >です。
一回り以上も歳の離れた女性の先輩から、職場でマウンティングを受ける日々のあたそさん。「マウンティングおばさん」が皮肉ってくる意味も心理もわからない……という状況でいったいどんな対処法がとれるのでしょう?