上司に「コミュニケーションの癖が強い」と言われた。謝るのは悪いこと?

先日、長年一緒に働き続けている上司から「コミュニケーションの癖が強い」と言われ、まあまあでかめのショックを受けてしまった。更にそのあと、「私も人との関わりで困ってきたほうで……」という、フォローも重くのしかかる。え? 本気で言ってる? 長年一緒に働いてきたし、今までいろんなこと話したけど、ずっとそう思ってたってこと? 罪悪感や申し訳なさが、遅れてやってくる。

事実確認のための質問をされると、責められていると感じて謝ってしまう。意識していたわけではないけれど、どうやら私にはその癖があるようだった。口頭であれば感情が伝わるが、チャットやメールなどの文字ベースだと相手が何を思っているのかまったく読めず、どうしても申し訳ない気持ちになる。

この日も私が受け持っている業務内容に関する齟齬があり、「これどうやりました?」と聞かれて、即座に謝る。「何度も言ってると思うけど、謝ってほしいわけではなくて確認がしたいだけなんですけど」と言われたのですが、すでに怒ってるじゃんね。立場を考えれば、怒っていると思われてもしょうがない気がするけれど。まあ、私も私ですぐに謝るのも癖みたいなもので、挨拶感覚で言っている部分もあるんですが。
確認が仕事だとしても、無駄な時間やお手間をかけさせてしまってごめんね! という意味での謝罪でもあるし、全然受け流してくれたっていいのに、それでもやっぱり指摘してくるってことは怒ってるんじゃないでしょうか? 謝られすぎてうっとおしいってこと? 考えすぎでしょうか。

社会人になりたての頃、「なんでこんなに挨拶ができない人が多いんだろう」「ありがとうとごめんなさいをきちんと言える大人になろうって思わないのかな」と不思議がっていた時期もあった。でも、今の会社は「ごめんなさい」が本当に少ないように思う。だって、謝罪の言葉を述べると「いや、謝ってほしいって言ってないけど?」って言われちゃうんだもん。そりゃあ謝らなくなるわ、と。大人の心がうす汚れてしまうのは、こういう会社のせいなのかもしれません。

自分に価値がないと思っているのだろうか

そういう流れを経て、「コミュニケーションの癖が強い」と言われたのだった。結構なショックである。
いや、でもよくよく考えれば思い当たる節がありすぎるのだった。私は、人間関係の構築でつまずくことや悩むことがものすごく多い。なんで、みんなそんなに普通に人と仲良くできるんだろう? と疑問に思うくらい多い。だから、自分の性格や考え方、コミュニケーションの方法になんらかの欠点があるのだろうな、と認識している。その欠点が何なのか、治るものなのかは理解できていないけれど。
その証拠に、かなり仲のいい友だちからも「誰のことも信頼していない」「人のことを本当に好きになったことはあるのか」「人間関係に常にブレーキをかけている」「人よりも心のパーテーションが多い」と散々言われ続けている。パーテーションってなんだよ! わからないけれど、心理的距離感を測るうえで、かなり遠いところに私が存在しているという意味なのだろうと認識している。

上司とのやりとりも含め、割となんでも言い合える親友に相談してみたところ、「自分に価値がないと思っているからじゃないか?」という回答を得た。
うーん、そうなのかも。確かに、私は自分のことを好意的に見てくれる人の感情がいまいち理解できない。話が合うな、面白いな、そう思ってくれるから気にいってくれるのだろうし、光栄なことではある。お互いにそう感じているからこそ、仲良くなれるのだし。しかし、頭では理解できているけれど、認識できない。
だから、常に人に価値のある話をしようとするし、絶対にウケを狙っていく。人と会っているときは、エンターテイナーでありたい。きっと相手は私に対して「面白い人」「相談するとそれなりの答えが返ってくる人」という期待をしている。そこを裏切ってはいけない。裏を返せば、そうではない自分には価値がないと考えているということになる。

その考えに基づけば、仕事においての私には常に価値がない。仕事も得意ではないし、迷惑をかけてしまうことがある。今のチームに貢献できていることも少ないかもしれない。会社のあらゆる人に対して、何かしらの罪悪感を覚えている。だから、すぐに謝る。その結果、上司を困らせる。必要以上にプライベートの話をしないのも仲良くなろうとしないのも、結局は私が勝手に会社の人にとって自分は価値のない人間だと感じているからなのだと思う。