相手を喜ばせられない自分には意味がない?
友達に、自分の人間性をボロクソに言われるのもきっと同じ理由だ。私は常に面白い話か相手の趣味・嗜好に合わせた話しかしなかった。相手を喜ばせることのできない自分には意味がないし、失望されることが怖かった。
でも、本当はそんなことないのかもしれない。相手を尊重することは大切ではあるけれど、もっとつまらない話やとりあえず誰かに言いたい話、オチのない話をして、笑い合う必要があったのかもしれない。だから、友達は「心を許していない」と判断し、私に色んなことを言ってきたのだと思う。全員付き合いも長いから、流石に私の性質には気づいているだろうけれど……。
ということで、この文章にも特にオチはないんだけど、私ってやっぱりコミュニケーションの癖が強いのでしょうか? 全然知らなかった……。でも、友達や知り合いも多いし、初対面で嫌われることもほとんどないし、なんでも言い合える人もそれなりにいるから、気にしなくていいんだろうか? そもそも、コミュニケーション能力になんの問題もない人っているのだろうか。こういう言葉って、地味に心のなかに長期間残り続ける。しばらくは気にしちゃうんだろうな。誰にも何も思われない、ただちょっと面白くて気さくな大人な女になっていきたい……。
Text/あたそ
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